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何思つたか、関羽は馬を下り、つか/\と周倉のそばへ寄つた。
「御辺が周倉といはれるか。何故(なにゆゑ)にそう卑下めさるか。まづ、地を立ち給へ」
と、扶(たす)け起した。
周倉は立つたが、なほ、自身をふかく恥ぢ入るものゝやうに、
「諸州大乱の折、黄巾軍に属して、しば/\戦場でおすがたを見かけた事がありました。賊乱平定ののちも、前科のため、山林にかくれて、つひに盗賊の群に生き、いまかくの如き境遇をもつて、お目にかゝることは、身を恨みとも思ひ、天にたいしては、天の賜(たまもの)と、有難く思ひます。……将軍どうかこの馬骨を、お拾ひください、お救ひ下さい」
「拾へとは?救へとは?」
「将軍に仕へるなら、御馬前の一走卒でも結構です。邪道を脱して、正道に生き回(かへ)りたいのでござる」
「あゝ、御辺は善性(ゼンシヤウ)の人だ」
「おねがひです。然るうへは、死すともいとひません」
「が、大勢の手下は、どうするか」
「つねに皆、将軍の名を聞いて、てまへ同様お慕ひしてゐます。自分が従うてゆけば、共々、お手に付いてゆきたい希望にござりまする」
「待ちたまへ、御簾中に伺つてみるから」
関羽は静かに車のそばへ寄つて、二夫人の意をたづねてみた。
「妾(わらは)たちは、女子(をなご)のこと、将軍の胸ひとつで……」
と、甘夫人は云つたが、しかしこゝへ来るまでの間、たとへば東嶺の廖化などでも、山賊を従へては故主のお名にかかはらう——と、かたく断つた例もあるし、世上のきこえが何(ど)んなものであらうかと、そのあとで云ひ足した。
「御もつともでござる」
と、関羽も同意だつたので、周倉のまへに戻つてくると、気の毒さうに云ひ渡した。
「御簾中には、云々(しか/゛\)のおことばでござる。——こゝは一まづ、山寨へ帰つて、またの時節を待つたがよからう」
「——至極な仰せ。身は緑林(リヨクリン)におき、才は匹夫、押して申しかねますなれど、けふの日は、てまへに取つて、実に、千載の一遇といひませうか、盲亀(マウキ)の浮木(フボク)といふべきか、逸し難い機会です。もはや一日も、悪業の中には生きてゐられません」
周倉は、哭かんばかりに云つた。真情をもつて訴へれば、人をうごかせないこともあるまいと、縷々(ルヽ)、心の底から吐いて縋(すが)つた。
「……どうか、どうか、てまへを人間にして下さい。いま将軍を仰ぐこと、井の底から天日を仰ぐにも似てをります。この一筋の御縁を切られたら、ふたゝび明(あきら)かな人道に生き回(かへ)るときが、あるや否や覚(おぼ)つかなく思はれます。……もし大勢の手下共を引き具してゆくことが、世上に憚(はゞか)られての御意なれば、手下の者は、しばらく裴元紹にあづけ、この身ひとつ、馬の口輪をとらせて、おつれ願ひたう存じまする」
関羽は、彼の誠意にうごかされて、ふたゝび車の内へ伺つた。
「あはれな者、かなへてつかはすがよい」
夫人のゆるしに、関羽もよろこび、周倉はなほの事、欣喜雀躍して、
「あゝ、有難い!」
と、天日へさけんだ程だつた。
だが、裴元紹は、周倉が行くなら自分にも扈従をゆるされたいと、彼につゞいて、関羽に訴へた。
周倉は、彼を諭して、
「おぬしが手下を預かつてくれなければ、みな散々(ちり/゛\)に里へ降りて、どんな悪行をかさねるかもしれない。他日かならず誘ふから、しばらく俺のため山に留まつてゐてくれ」
やむなく裴元紹は手下をまとめて、山寨へひきあげた。
周倉は本望をとげて、山また山の道を、身を粉にして先に立ち、車を推しすゝめて行つた。
ほどなく、目的の汝南に近い境まで来た。
その日、一行はふと、彼方の嶮しい山の中腹に、一つの古城を見出した。白雲はその望楼や石門(いしもん)をゆるやかに繞(めぐ)つてゐた。
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次回 → 古城窟(二)(2025年4月24日(木)18時配信)