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翌日の道は、山岳にはいつた。
ひとつの峠へ来た時である。百人ばかりの手下をつれた山賊の大将が、馬上から、
「おれは黄巾の残党、大方(ダイハウ)裴元紹(ハイゲンセウ)といふものだ。この山中を無事に越えたいと思ふなら、その赤兎馬をくれてゆけ」
と、道のまん中をふさいで名乗つた。をかしさに、関羽は自分の髯を左の手ににぎつて見せ、
「これを知らぬか」
と、たゞ云つた。
すると、裴元紹は、〔はつ〕とした容子で、
「髯長く、面(つら)赤く、眼の切れ暢(の)びやかな大将こそ、関羽といふなりとは、噂だけに聞いてゐたが……もしやその関羽は?」
「そちの眼のまへにゐる者だ」
「あつ、さては」
驚いて馬から飛び下りたと思ふと、裴元紹は、ふいに後(うしろ)の手下の中から、ひとりの若者を引(ひき)ずり出して、その髻(もとどり)をつかむやいな、大地へ捻(ね)ぢ伏せた。
関羽には、何をするのか、彼の意志がわからなかつた。
「羽将軍、この青二才にお見覚えありませんか、麓に住む郭常のせがれで……」
「おゝあののら息子か」
「実は、てまへの山寨(サンサイ)へ来て、けふ峠へかゝる旅客は天下無双の名馬、赤兎馬といふのに跨(またが)つてゐる。金も持つてゐる。女もつれてゐる。さう告げに来て、儲けの分け前を求めました。……かう云つては、賊のくせに、口ぎれいな事をと、お嗤(わら)ひでせうが、金銀や女などに、さう目をくれる自分ではありません。しかし天下の名駿と聞いては見のがせない気がしました。羽将軍とは思ひもよらなかつた為に……」
「それで読めた。その息子は、昨夜から此方の馬を狙つてゐたのだ。だが、力が足らないので、そちの山寨へケシかけに行つたものと見える」
「太(ふて)え奴」
と、裴元紹は、のど首を締めつけて、いきなり短剣でその首を掻き落さうとした。
「あ。待て、待て、その息子を、殺してはならん」
「なぜですか。せつかく、こいつの首を献じて、お詫びを申さうとするのに」
「放してやつてくれい。その〔のら〕息子には、老ゐたる両親がある。またその両親には二夫人以下われわれ共が、一夜の恩をかうむつてをれば……」
「ああ、あなた様は、やはり噂に聞いてゐた通りの羽将軍でした」
さう云ふと、裴元紹は、〔のら〕息子の襟がみをつかんで、道ばたへ抛(はふ)り出した、〔のら〕息子は、生命から/゛\、谷底へ逃げこんだ。
関羽は、山賊の将たる彼が、いち/\自分に推服の声をもらしてゐるので、どうして自分を知つてゐるかと問ひたゞした。
裴元紹は、答へて、
「こゝから二十里ほど先の臥牛山(グワギウザン)(河南省・開封附近)に、関西の周倉(シウサウ)という人物が棲んでゐます。板肋(ハンロク)虬髯(キウゼン)、左右の手によく千斤をあぐ——といふ豪傑ですが、この者が、将軍をお慕ひしてゐることは、ひと通りではありません」
「いかなる素姓の人か」
「もと黄巾の張宝に従つてゐましたが、いまは山林にかくれて、ただ将軍の威名を慕ひ、いつかは拝姿の日もあらうと、常々、その周倉からてまへもお噂を聞かされてゐたのです」
「山林のなかにも、そんな人物がをるか。そちも周倉に昵懇(ジツコン)なれば、邪を抑へ、正をふるひ、明らかな人道を大歩して生きたら何(ど)うだ」
裴元紹はつゝしんで改心をちかつた。そして山中の道案内を勤めて、およそ十数里すゝむとあなたの地上、黒々と坐して拝跪(ハイキ)してゐる一団の人間がある。
近づいてみると、中にも一人の大将は、路傍にうづくまつて、関羽、孫乾の車のわだちへ拝礼を施してゐた。
裴元紹は、馬をとゞめて、
「羽将軍、そこにお迎へしてをるのが、関西の周倉です。どうかお声をかけてあげて下さい」
と、彼の注意を求めた。
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次回 → 古城窟(こじやうくつ)(一)(2025年4月23日(水)18時配信)