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「あな、面(つら)憎(にく)や。天下、人もなげなる大言を、吐(ほ)ざきをる奴」
夏侯惇は、片眼をむいて、すばらしく怒つた。
はやくも彼のくり伸ばした魚骨鎗(ギヨコツサウ)は、ひらりと関羽の長髯をかすめた。
戞然(カツゼン)——。関羽の偃月の柄と交叉して、いずれかゞ折れたかと思はれた。逸駿赤兎馬は、主人とともに戦ふやうに、くわつと、口をあいて悍気(カンキ)をふるひ立てる。
十合、二十合、彼の鎗と、彼の薙刀とは閃々烈々、火のにおひがするばかり戦つた。
ところへ、彼方から、
「待たれよ!双方戦ひは止めたまへ」
と、声をからして叫びながら馳けて来る一騎の人があつた。曹操の急使だつたのである。
来るやいな、馬上のまゝ、丞相直筆の告文を出して、
「羽将軍の忠義をあはれみ、関所渡口すべてつゝがなく通してやれとのおことばでござる。御直書かくの如し」
と、早口に云つて制したが、夏侯惇はそれを見ようともせず、
「丞相は、関羽が六将を殺し、五関を破つた狼藉を知つてのことか」
と、却つて詰問した。
告文はそれより前に、相府から下げられたものであると、使者が答へると、
「それ見ろ。御存じならば、告文など発せられるわけはない。いでこの上は、彼奴を生(いけ)擒(ど)つて都へさし立て、そのうへで丞相のお沙汰をうけよう」
豪気無双な大将だけに、飽(あく)まで関羽をこのまゝ見(み)遁(のが)さうとはしなかつた。
なほ、人交ぜもせず、両雄は闘つてゐた。すると二度目の早馬が馳けて来て、
「両将軍、武器をおひきなされ。丞相のお旨でござるぞ」
と、さけんだ。
夏侯惇は、すこしも鎗の手を休めずに、
「待てとは、生擒れという仰せだらう。分つてる/\」
と、どなつた。
近づき難いので、早馬の使者は遠くを繞(めぐ)りながら、
「さにはあらず、道中の関々(せき/゛\)にて、割符を持たねば、通さぬは必定(ヒツヂヤウ)、かならず所々にて、難儀やしつらんと、後(あと)にて思ひ出され、次次と三度までの告文を発せられました」
大声で云つたが、夏侯惇は耳もかさない。関羽も強ひて彼の諒解を乞はうとはしない。
馬もつかれ、さすがに、人もつかれかけた頃である。又一騎、ここへ来るやいな、
「夏侯惇!強情もいゝかげんにしろ、丞相の御命令にそむく気か」
と、叱咤した人がある。
それも許都からいそぎ下つて来た早馬の一名、張遼であつた。
夏侯惇は、初めて、駒を退き、満面に大汗を、ぽと/\こぼしながら、
「やあ、君まで来たのか」
「丞相には一方ならぬ御心配だ……貴公のごとき強情者もをるから」
「なにが心配?」
「東嶺関の孔秀が関羽を阻めて斬られた由を聞かれ、さて、わが失念の罪、もし行く/\同様な事件が起きたら、諸所の太守を〔あだ〕に死なすであらうと——にはかに告文を発しられ、二度まで早打(はやうち)を立てられたが、なほ御心配の餘り、それがしを派遣された次第である」
「どうして左様に御愍情(ゴビンジヤウ)をかけられるのやら」
「君も、関羽のごとく、忠節を励みたまへ」
「やはか、彼ごときに、劣るものか」
と、負けず嫌ひに、唾をはきちらして、なほ憤々(フン/\)と云ひやまなかつた。
「関羽に殺された秦琪は、猿臂将軍蔡陽の甥で、特に蔡陽が、おれを見込んで、頼むといつてあづけられた部下だ。その部下を討たれて、なんでおれが……」
「まあ待て。その蔡陽へは、それがしから充分にはなしておく。ともあれ、丞相の命を奉じたまへ」
宥(なだ)められて、夏侯惇もつひに渋渋、軍兵を収めて帰つた。
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次回 → のら息子(三)(2025年4月21日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。