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前回はこちら → 五関突破(五)
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船が北の岸につくと、また車を陸地に揚げ、簾(レン)を垂れて二夫人をかくし、ふたたび蕭々(セウ/\)の風と渺々(ベウ/\)の草原を縫ふ旅はつゞいてゆく。
さうした幾日目かである。
彼方からひとりの騎馬の旅客が近づいてきた。見れば何と、汝南で別れたきりの孫乾(ソンケン)ではないか。
互(たがひ)に奇遇を祝して、まづ関羽からたづねた。
「かねての約束、どこかでお迎へがあらうと、こゝへ参るまでも案じてゐたが、さてかく手間どつたのはどうしたわけです」
「実は、袁紹(えんしよう)の帷幕(いばく)にいろいろ内紛が起(おこ)つて、そのために、汝南の劉辟、龔都のむねをおびて河北へ使(つかひ)したてまへの計画が、みな喰ひちがつてしまつたのです。——さもなければ、袁紹を説き伏せて劉皇叔を汝南に派遣するやうに仕向け、てまへは途中に御一行を待つて、御対面のことを計るつもりでしたが」
「では、劉皇叔には、ともあれ御無事に、いまも袁紹の許においで遊ばすか」
「いや、いや。つい二三日ほど前、てまへが行つて、ひそかに諜(しめ)しあはせ、河北を脱出あそばして汝南へさして落ちて行かれた」
「して、その後の御安否は」
「まだ知れぬが、——一方、貴殿とのお約束もあり、二夫人のお身の上も心がゝりなので、取(とり)あへず、てまへはこの道をいそいで来た次第です。——将軍もお車も、このまゝ何も知らずに河北へ行かれたら、みづから檻の中へ這(は)入(い)つてゆくやうなもの。危険は目前にあります。すぐ道を更(か)へて、汝南へ向けておいそぎ下さい」
「よくぞ知らせてくれた。しからば劉皇叔だにおつゝがなく遁(のが)れ遊ばせば、汝南において、ご対面がかなうふわけだな」
「そうです。玄徳様にも、どれほどお待ちかわかりません。何しろ、河北の陣中にをられるうちには、たえず周囲の白眼視をうけ、袁紹には、二度まで斬られやうとした事さへおありだつた由ですから」
と、なほ玄徳のけふ迄(まで)の隠忍艱苦(インニンカンク)のかず/\を物語ると、簾(れん)の裡(うち)で聞いてゐた二夫人もすゝり泣き、関羽も思はず落涙した。
「さうだ。心せねばならん。汝南はもう近いが、何事も、もう一歩といふ手まへで、心も弛(ゆる)み、思はぬ邪(さまた)げも起るものだ。——孫乾、道の案内に先へ立ち給へ」
関羽は、自分を戒めるとともに、扈従(コジウ)の人々へも、訓(をし)へたのである。
「心得申した」
急に、道を更(か)へて、汝南の空をのぞんで急ぐ。
すると、行くことまだ遠くもないうちであつた。うしろの方から馬(うま)煙(けむ)りあげて追つ蒐(か)けて来る三百騎ほどな軍隊があつた。たちまち追ひつかれたので、関羽は、孫乾に車を守らせ、一騎引つ返して待ちかまへた。
まつ先に躍つて来る馬上の大将を見ると、片眼がつぶれてゐる。さてこそ、曹操の第一の大将(タイシヤウ)夏侯惇(カコウジユン)よなと、関羽も満身を総毛だてて青龍刀を構へ直してゐた。
「やあ、居るは関羽か」
夏侯惇から呼ばはると、
「見るが如し」
と、関羽は嘯(うそぶ)いた。
虎をみれば龍は怒り、龍を見れば虎はたゞちに吠へる。双方とも間髪を容れない殺気と殺気であつた。
「汝みだりに、五関を破り、六将を殺し、しかもわが部下の秦琪まで斬つたと聞く。つゝしんで首(かうべ)をわたすか、然(しか)らずんば、おれの与へる縛(バク)をうけよ」
聞くと、関羽は大笑して、それに答へた。
「その以前、座談のなかではあつたが、われ帰らんとする日、もし遮るものあれば、一々殺戮して、屍山血河を渉(わた)つても帰るであらうと——曹丞相と語つてゆるされたことがある——いまそを履行してあるくのみ。貴公もまた、関羽のために、血の餞別(はなむけ)にやつて来たか」
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次回 → のら息子(二)(2025年4月19日(土)18時配信)