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胡班は、彼を追ふと見せて、城外十数里まで、追撃して来たが、東の空が白みかけると、遠く、弓を振つて、それとなく関羽へ別れを告げた。
日をかさねて、関羽たちは、滑州(クワツシウ)(河南省・黄河の河港)の市城へはいつた。
太守(タイシユ)劉延(リウエン)は、弓槍の隊伍をつらねて、彼を街上に迎へて、試問した。
「この先に大河がある。将軍は、何に依つて渡るおつもりか」
「もちろん船で」
「黄河の渡口(トコウ)には夏侯惇の部下(ブカ)秦琪(シンキ)が、要害を守つてをる。かならず、将軍の渡るをゆるすまい」
「願はくば、足下(ソクカ)の船をからん。それがし等のために、便船を発せられい」
「船は多くあるが、将軍に貸す船はない。何となれば、曹丞相から左様なお沙汰はとどいてゐないからである」
「無用の人かな」
と、関羽は、一笑の下(もと)につぶやいて、そのまゝ車を押させ、直接、秦琪の陣へおもむいた。
河港の入口に、猛兵を左右にしたがへ、駒を立てゝゐた豹眉犬牙(ヘウビケンガ)の荒武者がある。
「止れつ。——来れるものは何奴であるか」
「秦琪は、足下か」
「さうだ」
「われは漢の寿亭侯関羽」
「どこへ参る」
「河北へ」
「告文を見せろ」
「無し」
「丞相の告文がなくば、通過はゆるさん」
「曹丞相も、漢の朝臣、それがしも漢の一臣たり、なんで曹操の下知を待たうぞ」
「翼があるなら飛んで渡れ。左様な大言を吐くからには、なほもつて、一歩もこゝを通すことはまかりならぬ」
「知らずや、秦琪!」
「なんだと」
「途々(みち/\)、此方(このはう)を遮(さへぎ)つたものは、ことごとく首と胴とを異(こと)にしてをる事実を。名もなき下将(ゲシヤウ)の分際をもつて、顔良、文醜にも立ち勝れりと思ひあがつてをるこそ不愍(フビン)なれ。むだな死は避けよ。そこを退(の)け」
「だまれ。おれの手なみを見てから吐(ほ)ざけ」
秦琪は、さう吠えると、やにはに刀を舞はして躍りかゝり、彼の従兵も、関羽の前後から喚(をめ)きかゝつた。
「噫(あゝ)、小人、救ふべからず!」
偃月の青龍刀は、またしても風を呼び、血を降らせた。
秦琪の首は、地に落ちてゐる。そしてその首は、赤兎馬のひづめに懸けられたり、逃げまどう部下の足に踏まれたりして、血と砂で真つ黒にまぶされてゐた。
埠頭の柵(サク)を破壊して、関羽は、繫船門(ケイセンモン)を占領してしまつた。刃(は)向(むか)ふ雑兵群を追ひちらし追ひちらして一艘の美船を奪ひ、二夫人の車をそれへ移すやいなや、纜(ともづな)を解き、帆を張つて、満々たる水へ漂ひ出した。
つひに、河南の岸は離れた。
北の岸は、すでに河北。
関羽は、ほつと、大河と大空に息をついた。
顧みれば——都を出てから、五ケ所の関門を突破し、六人の守将を斬つてゐる。
許都を発してからは、踏破して来たその地は。
襄陽(漢口ヨリ漢水上流ヘ二百八十粁)
覇陵橋(河南省・許州)
東嶺関(河南省許州ヨリ洛陽ヘノ途中)
沂水関(洛陽郊外)
滑州(黄河・渡口)
「よくも、こゝまで」
われながら関羽はさう思つた。
しかもまだ行くての千山万水がいかなる艱苦を待つか、歓びの日を設けてゐるか?——それはなほ未知数といはなければならない。
けれど、共に立つた二夫人は、もうこゝまで来ればと—はやくも劉玄徳との対面を心に描いて、遠心的な眸を恍惚(うつとり)と水に放つてゐた。
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次回 → のら息子(一)(2025年4月18日(金)18時配信)