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前回はこちら → 五関突破(二)
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夜あらしの声は、一山の松に更けて、星は青く冴えてゐた。
折ふし、いん/\たる鐘の音が、鎮国寺の内から鳴り出した。
「来たつ」
「来ましたぞつ」
山門のはうから飛んで来た二人の山兵が廻廊の下から大声で告げた。
謀議の堂からどや/\と人影があふれ出て来た。大将辨喜以下十人ばかりの猛者(もさ)や策士が赤い燈灯(ともしび)の光りをうしろに、
「静かにしろ」
と、たしなめながら欄(ラン)に立ちならんで山門の空を見つめた。
「来たとは、関羽と二夫人の車の一行だらう」
「さうです」
「山麓の関門では、何もとがめずに通したのだな」
「さうしろという大将の御命令でしたから、その通りにいたしました」
「関羽に充分油断を与へるためだ。洛陽でも東嶺関でも、彼を函門で拒もうとした故(ゆゑ)、却(かへ)つて多くの殺傷をかふむつて居る。こゝでは計(はかり)をもつて、かならず彼奴(きやつ)を生(いけ)擒(ど)つてくれねばならん。……さうだ、迎へに出よう。坊主どもにも、一同出迎へに出ろと云へ」
「いま、鐘がなりましたから、もうみな出揃つてゐるはずです」
「ぢやあ、各々」
辨喜は左右の者に眼くばせをして、階を降りた。
この夜、関羽は、麓の関所も難なく通されたのみか、この鎮国寺の山門に着いて、宿を借らうと訪れたところ、たちまち一山の鐘がなり渡ると共に、僧衆こぞつて出迎へに立つといふ歓待ぶりなので、意外な思ひに打たれてゐた。
長老の普浄(フジヤウ)和尚は車の下にぬかづいて、
「長途の御旅、さだめし、おつかれにおはさめ。山寺のこと故、雨露のおしのぎを仕(つかま)つるのみですが、御心やすくお憩ひを」
と、さつそく、簾中の二夫人へ、茶を献じた。
その好意に、関羽はわが事のやうに歓んで、慇懃、礼をのべると、長老の普浄はなつかしげに、
「将軍。あなたは郷里の蒲東(ホトウ)を出てから、幾(いく)歳(とせ)になりますか」
と、たづねた。
「はや、二十年にちかい」
関羽が答へると、又、
「では、わたくしをお忘れでせうな。わたくしも将軍と同郷の蒲東で、あなたの故郷の家と、わたくしの生家とは、河ひとつ隔てゝゐるきりですが……」
「ほ。長老も蒲東のお生れか」
そこへ、づか/\と、辨喜が佩剣(ハイケン)を鳴らして歩いて来た。そして普浄和尚へ、
「まだ堂中へ、お迎へもせぬうちから、何を親しげに話してをるか。賓客にたいして失礼であらう」
と、疑はしげに、眼をひからしながら、関羽を導いて、講堂へ招じた。
その折、長老の普浄が、意味ありげに、関羽へ何か眼をもつて告げるらしい容子をしたので、関羽は、さてはと、はやくも胸のうちでうなづいてゐた。
果(はた)して。
辨喜の巧言は、いかにも関羽の人格に服し、酒宴の燭は歓待を尽してゐるかのやうであつたが、廻廊の外や祭壇の陰などには、身に迫る殺気が感じられた。
「ああ。こんな愉快な夜はない。将軍の忠節と風貌をお慕ひすることや実に久しいものでしたよ。どうか、お杯(さかづき)をください」
辨喜の眼の底にも、爛々たる兇悪の気がみちてゐる。この佞獣(ネイジウ)め、と関羽は心中すこしの油断もせずにゐたが、
「一杯の酒では飲み足るまい。汝にはこれを与へよう」
と、壁に立てゝおいた青龍刀を把(と)るよりはやく、どすつと、辨喜を真二つに斬つてしまつた。
満座の燭は、血けむりに暗くなつた。関羽は、扉(と)を蹴つて、廻廊へをどり立ち、
「死を急ぐ人々は、即座に名乗り出でよ。雲長関羽が引導(いんどう)せん」
と、大鐘の唸るが如き声でどなつた。
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次回 → 五関突破(四)(2025年4月16日(水)18時配信)