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前回はこちら → 関羽千里行(五)
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車を護つてゐる従者たちも、口口に廖化の善心を賞(ほ)めて、関羽に告げた。
「仲間の杜遠が、二夫人を分けてお互(たがひ)の妻にしようぢやないかといふのを、廖化は断然拒んで、杜遠を刺し殺したのでした。どうしてあんな正義心の強い男が、山賊などしてゐるのでせうか」
関羽は、あらためて、廖化の前にすゝみ、
「二夫人の御無事は、まつたく貴公の仁助(ジンジヨ)である」
と、深く謝した。
廖化は、謙遜して、
「当り前な事をしたのに、餘りな御過賞は、不当にあたります。ただ願ふらくは、私もいつまで緑林の徒と呼ばれてゐたくありません。これを機(しほ)に、御車の供をお命じくだされば、幸ひこゝに百十餘の歩卒も居りますから、守護のお役にも立つかと思はれますが」
と、併(あは)せて希望を述べた。
しかし、関羽は、その好意だけをうけて、扈従(コジウ)の願ひは許さなかつた。かりそめにも山賊を供に加へて歩いたと聞えては、故主玄徳の名にもかゝはるといふ潔癖からである。
廖化はまた、せめて路用のたしにもと、金帛を献じたが、それも強(た)つて断つたけれど、その志には深く感じて、関羽は別るゝに際して、この緑林の義人へかう約した。
「今日の御仁情は、かならず長く記憶しておく。いつか再会の日もあらう。関羽なり、わが主君なりの落着きを聞かれたら、ぜひ訪ねて参られよ」
車は、ふたゝび旅路へ上つた。
道は遠く、秋の日は短い。
三日目の夕方、車につき添うた一行は、疎林(そりん)の中をすゝんでゐた。
片々と落葉の舞ふ彼方に、一すぢの炊煙がたちのぼつてゐる。隠士の住居でもあるらしい。
訪(と)うて宿をからんためであつた。関羽が訪(と)ふと、ひとりの老翁が、草堂の門へ出て来てたづねた。
「あなたは、何処(どこ)の誰(たれ)ぢや」
「劉玄徳の義弟(おとと)、関羽といふものですが」
「えつ……関羽どのぢやと。あの顔良や文醜を討つたるお人か」
「さうです」
老翁は、かぎりなく驚いてゐる。そして重ねて、
「あのお車は」
と、たづねた。
関羽はありのまゝ正直に告げた。老翁はます/\驚き、そして敬ひ請じて門のうちに迎へた。
二夫人は車を降りた。翁(オウ)は、娘や孫娘をよんで、夫人の世話をさせた。
「たいへんな貴賓ぢや」
翁は清服に着かへて、改めて二夫人のゐる一室へあいさつに出た。
関羽は、二夫人のかたはらに、叉手したまゝ侍立してゐた。
老翁は、いぶかつて、
「将軍と、玄徳様とは、義兄弟のあひだがら、二夫人は嫂(あによめ)にあたるわけでせう。……旅のお疲れもあらうに、寛(くつろ)ぎもせず、なぜそのやうな礼儀を守つておいでかの?」
関羽は、微笑をたゝへて、
「玄徳、張飛、それがしの三名は、兄弟の約をむすんでをるが、義と礼においては君臣のあひだにあらんと、固く、乱れざることを誓つてゐました。故に、ふたりの嫂の君とともに、かゝる流寓艱苦の中にはあつても、かつて君臣の礼を缺いたことがありません。家翁のお目には、それがをかしく見えますか」
「いや、いや、滅相もない。いぶかつたわしこそ浅慮(あさはか)でおざつた。さても今時にめづらしい御忠節」
それから老翁はことごとく関羽に心服して自分の小斎(こべや)に招き、身の上などうちあけた。この老翁は胡華(コクワ)といつて、桓帝の頃(ころ)議郎(ギラウ)まで勤めたことのある隠士だつた。
「わしの愚息は、胡班(コハン)といつて、いま滎陽(ケイヤウ)の太守(タイシユ)王植(ワウシヨク)の従事官をしてゐます。やがてその道もお通りになるでせうから、ぜひ訪ねてやつてください」
と、自分の息子へ、紹介状をしたためて、あくる朝、二夫人の車が立つ折、関羽の手にそれを渡してゐた。
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次回 → 五関突破(一)(2025年4月12日(土)18時配信)