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前回はこちら → 関羽千里行(四)
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思ひのほか手間どつたので、関羽は二夫人の車を慕つて、二十里餘り急いで来たが、どこでどう迷つたか、先に行つた車の影は見えなかつた。
「……はて。如何(いかゞ)遊ばしたか」
と、とある沢のほとりに駒をとめて、四方の山を見まはしてゐると、一水の渓流を隔てた彼方の山から、
「羽将軍、しばらくそこにお停(とゞ)りあれ」
と、呼ばはる声がした。
何者かと眸をこらしてゐると、やがて百人ばかり歩卒をしたがへ、まつ先に立つて来る一名の大将があつた。
打(うち)眺めれば、その人、まだ年歯(ネンシ)二十歳(はたち)がらみの弱冠で、頭は黄巾で結び、身に青錦(セイキン)の袍(ハウ)着て、忽ち山を馳け降(くだ)り、渓河をこえて、関羽の前に迫つた。
関羽は青龍刀を把(と)り直して、
「何者ぞ、何者ぞ。はやく名字を申さぬと、一(イツ)颯(サツ)の下(もと)に、素首(すかうべ)を払ひ落すぞ」
と、まづ一圧を加へてみた。
すると、壮士は、ひらりと馬の背をおりて、
「それがしはもと襄陽の生れ、廖化(レウクワ)と称し、字(あざな)は元倹(ゲンケン)といふ者です。決して将軍に害意をふくむ者ではありませんから、御安心ください」
「して、何のために、卒をひきゐて、わが行く道を阻(はゞ)めるか」
「まづ、私の素志を聞いて戴(いたゞ)きたい。実は私は、少年の客気、早くも天下の乱に郷(キヤウ)を離れて、江湖のあひだを流浪し、五百餘人のあぶれ者を語らひ、この地方を中心として山賊を業(わざ)としてゐる者です。ところが、同類の者に、杜遠(トヱン)といふ男がゐます。これがつい今し方、街道へ働きに出て、二夫人の車を見かけ、よい獲物を得たりと、劫掠(ゴウリヤク)して山中へ引き連れて来たわけです」
「なに。——では二夫人の御車は汝らの山寨(サンサイ)へ持ち運ばれて行つたのか」
すぐにも、そこへと、関羽が気色ばむのを止(とゞ)めて、
「が、お身には、何のお障(さは)りもありません。まづ、私の申すことを、もう少しお聞き下さい。……私は簾中(レンチウ)の御方達(おんかたたち)を見て、これは仔細ありげなと感じましたので、ひそかに、車について従者の一名に、いかなるわけの御人(おひと)かとたづねたところ、何ぞ知らん、漢の劉皇叔の夫人なりと伺つて、愕然といたしました。……で早速、仲間の杜遠に迫り、かゝる御人を拉(ラツ)し来つて何とするぞ、すぐもとの街道へ送つて放し還さうではないかと、切にすゝめましたが杜遠は、頑としてきゝ入れません。のみならず、怪しからぬ野心すら仄(ほのめ)かしましたから、不意に、剣を払つて、杜遠を刺し殺し、その首を取つて、将軍に献ぜむ為に、これにてお待ちしてゐた次第でございます」
と、一級の生首を、そこへ置いて再拝した。
関羽は、なほ疑つて、
「山賊の将たる汝が、何故(なにゆゑ)、仲間の首を斬つて、縁もない自分に、さまでの好意を寄せるか、何とも解(げ)し難いことである」
と容易に信じなかつた。
「御もつともです——」と、廖化は、山賊といふ名に卑下して、
「二夫人の従者から将軍が今日にいたるまでの御忠節をつぶさに聞いて、まつたく心服した為であります。緑林(リヨクリン)の徒とても、心まで獣心ではありません」
と云つたが、忽ち、馬に乗つたかと思ふと、ふたゝび以前の山中へ馳けもどつた。
しばらくすると、廖化はまた姿を見せた。
こんどは百餘人の手下に、二夫人の車を推させて、大事さうに、山道を降りて来たのである。
関羽は初めて、廖化の人物を信じた。何よりも先に、車の側へ行つて、かゝる御難儀をおかけしたのは臣の罪であると、甘夫人に深く謝した。
夫人は簾(レン)の裡(うち)から云つた。
「もし、廖化がいなかつたら、どんな憂目をみたかしれぬ。その者に将軍からよく礼をいうて賜(た)もれ」
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次回 → 関羽千里行(六)(2025年4月11日(金)18時配信)