ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
前回はこちら → 関羽千里行(三)
***************************************
関羽は、ふと、眼をしばだゝいた。二夫人の境遇に考へ及ぶと、すぐ断腸の思ひがわくらしいのである。
「御芳志のもの、二夫人へと仰せあるなら、ありがたく収めて、お取次ぎいたさう。——長々お世話にあづかつた上、些少の功労をのこして、いま流別の日に会ふ。……他日、萍水(ヘウスイ)ふたゝび巡り遇(あ)ふ日も来れば、べつにかならず、餘恩をお報い申すでござらう」
彼のことばに、曹操も満足を面にあらはして、
「いや、いや、君のやうな純忠の士を、幾月か都へ留めておいたゞけでも、都の士風はたしかに良化された。また曹操も、どれほど君から学ぶところが多かつたか知れぬ。——たゞ君と予との因縁薄うして、いま人生の中道に袂(たもと)を別(わか)つ。——これは淋しいことにちがひないが、考へ方に依つては、人生のおもしろさもまたこの不如意(ふによい)のうちにある」
と、まづ張遼の手から路銀を贈らせ、なほ後の一将を顧みて、持たせて来た一領の錦の袍衣(ひたたれ)を取寄せ、それを関羽に餞別(はなむけ)せん——とかう云つた。
「秋も深いし、これからの山道や渡河の旅も、いとゞ寒く相成らう。……これは曹操が、君の芳魂をつゝんでもらひたい為、わざわざ携へて来た粗衣に過ぎんが、どうか旅衣(たびぎぬ)として、雨露のしのぎに着てもらひたい。これくらゐの事は君がうけても誰(たれ)も君の節操を疑ひもいたすまい」
錦の抱を持つた大将は、直(たゞち)に馬を下りて、つかつかと覇陵橋の中ほどへすゝみ、関羽の駒のまへにひざまづいて、恭々(うや/\)しく錦袍を捧げた。
「かたじけない」
関羽はそこから目礼を送つたが、その眼(まな)ざしには、もし何かの謀略でもありはしまいかとなほ充分警戒してゐるふうが見えた。
「——せつかくの御餞別(ごセンベツ)、さらば賜袍(シハウ)の恩をかふむるで御座らう」
さういふと、関羽は、小脇にしてゐた偃月の青龍刀をさしのべてその薙刀形(なぎなたなり)の刃さきに、錦の袍を引つかけ、ひらりと肩に打(うち)かけると、
「おさらば」
と、唯(たゞ)一声のこして、忽ち北の方へ駿足赤兎馬を早めて立ち去つてしまつた。
「見よ。あの武者ぶりの良さを——」
と、曹操は、惚々(ほれ/゛\)と見送つてゐたが、つき従ふ李典、于禁、許褚などは、口を極めて、怒りながら、
「なんたる傲慢」
「恩賜の袍を刀のさきで受けるとは」
「丞相の御恩につけあがつて、すきな真似をしちらしてをる」
「今だつ。——あれあれ、まだ彼方に姿は見える。追ひかけて!……」
と、あはや駒首をそろへて、馳け出さうとした。
曹操は、一同をなだめて、
「むりもない事だ。関羽の身になつてみれば、——いかに武装はしてゐなくとも、こちらはわが麾下の錚々たる者のみ二十人もゐるのに、彼は単騎、たゞひとりではないか。あれくらゐな要心はゆるしてやるべきである」
そしてすぐ許都へ帰つて行つたが、その途々(みち/\)も、左右の諸大将にむかつて、
「敵たると味方たるとを問はず、武人の薫(かんば)しい心操に接するほど、予は、楽しいことはない。その一瞬(いつとき)は、天地も人間も、すべて此世(このよ)が美しいものに満ちてゐるやうな心地がするのだ。——さういふ一箇の人格が他を薫化(クンクワ)することは、後世千年、二千年にも及ぶであらう。其方たちも、この世でよき人物に会つたことを徳として、彼の心根に見ならひ、おの/\末代にいたるまで芳(よ)き名を遺(のこ)せよ」
と、訓戒したといふことである。
このことばから深く窺ふと、曹操はよく武将の本分を知つてゐたし、また自己の性格のうちにある善性と悪性をも辨(わきま)へてゐたといふことができる。そして努めて、善将にならんと、心がけてゐたことも慥(たしか)だと云ひ得よう。
***************************************
次回 → 関羽千里行(五)(2025年4月10日(木)18時配信)