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前回はこちら → 関羽千里行(二)
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「なに。曹丞相みづからこれへ参るといはれるか」
「いかにも、追ツつけこれへお見えにならう」
「はて、大仰な」
関羽は、何思つたか、駒をひつ返して覇陵橋(ハリヨウケウ)の中ほどに突つ立つた。
張遼は、それを見て、関羽が自分のことばを信じないのを知つた。
彼が、狭い橋上のまン中に立ち塞がつたのは、大勢を防がうとする構へである。——道路では四面から囲まれる惧(おそ)れがあるからだ。
「いや。やがて解らう」
張遼は、敢て、彼の誤解に辯明を努めなかつた。まもなく、すぐあとから曹操はわづか六、七騎の腹心のみを従へて馳けつけて来た。
それは、許褚、徐晃、于禁、李典なんどの錚々たる将星ばかりだつたが、すべて甲冑を着けず、佩剣(ハイケン)のほかは、ものものしい武器を携へず、極めて、平和な装ひを揃へてゐた。
関羽は、覇陵橋のうへから、それをながめて、
「——さては、われを召捕らんためではなかつたか。張遼の言は、真実だつたか」
と、やゝ面の色をやはらげたが、それにしても、曹操自身が、何故(なにゆゑ)にこれへ来たのか、なほ怪しみは解けない容子であつた。
——と、曹操は。
はやくも駒を橋畔(ケウハン)まで馳け寄せて来て、しづかに声をかけた。
「オヽ羽将軍。——あわたゞしい、御出立ではないか。さりとは餘りに名残り惜しい。何とて、さう路(みち)を急ぎ給ふのか」
関羽は、聞くと、馬上のまゝ慇懃に一礼して、
「その以前、それがしと丞相との間には三つの御誓約を交してある。いま、故主玄徳事、河北にありと伝へ聞く。——幸ひに許容し給はんことを」
「惜しいかな。君と予との交(まじは)りの日の餘りにも短かりしことよ。——予も、天下の宰相たり、決して昔日の約束を違へんなどとは考へてゐない。……然(しか)し、然し、餘りにも御滞留が短かつたやうな心地がする」
「鴻恩(コウオン)、いつの日か忘れませう。さりながら今、故主の所在を知りつゝ、安閑と無為の日を過して、丞相の温情にあまへてゐるのも心ぐるしく……つひに去らんの意を決して、七(なな)度(たび)まで府門をお訪ねしましたが、つねに門は各々閉(とざ)して、むなしく立(たち)帰るしかありませんでした。お暇(いとま)も乞はずに、早々旅へ急いだ罪はどうか御寛容ねがひたい」
「いや/\、あらかじめ君の訪れを知つて、牌をかけ置いたのは予の科(とが)である。——否、自分の小心の為せる業(わざ)と明かに告白する。いま自身でこれへ追つて来たのは、その小心をみづから恥ぢたからである」
「なんの、なんの、丞相の寛濶(クワンクワツ)な度量は、何ものにも、較(くら)べるものはありません。誰(たれ)よりも、それがしが深く知つてをるつもりです」
「本望である。将軍がさう感じてくれゝば、それで本望といふもの。別れたあとの心地も潔い。…………おゝ、張遼、あれを」
と、彼はうしろを顧みて、かねて用意させて来た路用の金銀を、餞別(センベツ)として、関羽に贈つた。
が関羽は、容易にうけとらなかつた。
「滞府中には、あなたから充分な、お賄(まかな)ひをいたゞいてをるし、この後といへども、流寓落魄(リウグウラクハク)貧しきには馴れてゐます。どうかそれは諸軍の兵に頒(わ)けてやつてください」
しかし曹操も、また、
「それでは、折角の予の志も、すべて空しい気がされる。今更、わづかな路銀などが、君の節操を傷つけもしまい。君自身はどんな困窮にも耐へられようが、君の仕へる二夫人に衣食の困苦をかけるのは傷(いた)ましい。曹操の情(なさけ)としても忍び難いところである。君が受けるのを潔しとしないならば、二夫人へ路用の餞別として、献じてもらひたい」
と強(た)つて云つた。
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次回 → 関羽千里行(四)(2025年4月9日(水)18時配信)