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前回はこちら → 関羽千里行(一)
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つひに、関羽は去つた!
自分をすてゝ玄徳の許(もと)へ帰つた!
辛(つら)いかな大丈夫の愛。——恋ならぬ男と男との義恋。
「……あゝ、生涯もう二度と、ああいふ真の義士と語れないかもしれない」
憎悪。そんなものは今、曹操の胸には、〔みじん〕もなかつた。
来(きた)るも明白、去ることも明白な関羽のきれいな行動にたいして、そんな小人の怒りは抱かうとしても、抱けなかつたのである。
「……」
けれど彼の淋しげな眸は、北の空を見まもつたまゝ、如何(いか)んともし難かつた。涙々、頰に白いすぢを描いた。睫毛(まつげ)は、胸中の苦悶を〔しばだゝ〕いた。
諸臣みな、彼の面(おもて)を仰ぎ得なかつた。しかし程昱、蔡陽の輩(ともがら)は
「いま関羽を無事に国外へ出しては、後日、かならず悔い悩むことが起るに相違ない。殺すのは今のうちだ。今の一刻を逸しては……」
と、ひそかに腕を扼(ヤク)し、足ずりして、曹操の寛大をもどかしがつてゐた。
曹操はやがて立ち上がつた。
そして、四辺(あたり)の諸大将に云つた。
「関羽の出奔は、飽(あく)まで義にそむいてはゐない。彼は七(なゝ)度(たび)も暇(いとま)を乞ひに府門を訪れてゐるが、予が避客牌をかけて門を閉ぢてゐた為、つひに書を遺(のこ)して立ち去つたのだ。大人(タイジン)の非礼は却(かへつ)て曹操にある。生涯、彼の心底に、曹操は気心の小さいものよと嗤(わら)はれてゐるのは心苦しい。……まだ、途(みち)も遠くへは距(へだ)たるまい。追ひついて、彼にも我にも、後々まで思ひ出のよい信義の別れを告げよう。——張遼、供(とも)をせい!」
やにはに彼は閣を降(くだ)り、駒をよび寄せて、府門から馳け出した。
張遼は、曹操から早口にいひつけられて路用の金銀と、一(ひと)襲(かさね)の袍衣(ひたたれ)とを、あわたゞしく持つて、すぐ後(あと)から鞭を打つた。
「……わからん。……実にあの御方の心理はわからん」
閣上にとり残された諸臣はみな呆つ気にとられてゐたが、程昱、蔡陽の輩()はわけても茫然、つぶやいてゐた。
× ×
× ×
山はところ/゛\紅葉(もみぢ)して、郊外の水や道には、翻々(ヘン/\)、枯葉が舞つてゐた。
赤兎馬はよく肥えてゐた。秋はまさに更(ふ)けてゐる。
「……はて。呼ぶものは誰か?」
関羽は、駒をとめた。
「……おゝういつ」
といふ声——。秋風のあひだに。
「さては!追手の勢」
関羽は、かねて期したる事と、あわてもせず、すぐ二夫人の車のそばへ行つた。
「扈従(コジウ)の人々。おの/\は御車を推して先へ落ちよ。関羽一人はここにあつて路傍の妨げを取(とり)除いたうへ、悠々と、後から参れば——」
と、二夫人を愕(おどろ)かさぬやうに、〔わざ〕とことば柔(やはら)かにいつて駒を返した。
遠くから彼を呼びながら馳けて来たのは、張遼であつた。張遼はひつ返して来る関羽の姿を見ると
「雲長。待ちたまへ」
と、更に駒を寄せた。
関羽は、〔にこ〕と笑つて、
「わが字(あざな)を呼ぶ人は、其許(そこもと)のほかにないと思つてゐたが、やはり其許であつた。待つことかくの如く神妙であるが、いかに御辺を向けられても、関羽はまだ御辺の手にかかつて生(いけ)捕(どら)れるわけには参らん。さて/\辛(つら)き御命をうけて来られたもの哉(かな)——」
と、はや小脇の偃月刀を持ち直して身がまへた。
「否、否、疑ふをやめ給へ」
と、張遼はあわてゝ辯明した。
「身に甲(よろひ)を着ず、手に武具を携へず——拙者のこれへ参つたのは、決して、あなたを召捕らんが為ではない。やがて後(あと)より丞相が御自身でこれに来られる故(ゆゑ)、その前触れに来たのでござる。曹丞相の見えられるまで、暫(しば)しこれにてお待ちねがひたい」
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次回 → 関羽千里行(三)(2025年4月8日(火)18時配信)