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前回はこちら → 避客牌(ひかくはい)(三)
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時刻(ジコク)毎(ごと)に見廻りにくる巡邏の一隊であらう。
明け方、まだ白い残月がある頃、いつものやうに府城、官衙(クワンガ)の辻々をめぐつて、やがて大きな溝渠(コウキヨ)に沿ひ、内院の門前までかゝつて来ると、ふいに巡邏のひとりが大声で云つた。
「ひどく早いなあ。もう内院の門が開いとるが」
すると、他の一名がまた、
「はて。今朝はまた、〔いや〕に隈(くま)なく箒目(はうきめ)立てて、きれいに掃き浄(きよ)めてあるぢやないか」
「いぶかしいぞ」
「なにが」
「奥の中門も開いてゐる。番小屋には誰もゐない。何処(どこ)にもまるで人気(ひとけ)がない」
つか/\と門内へ入つてゐたのが、手を振つて呶(ど)鳴(な)つた。
「これやあ変だ!まるで空家だよ!」
それから騒ぎだして、巡邏たちは奥まつた苑内まで立ち入つてみた。
するとそこに、十人の美人が啞のやうに立つてゐた。
「どうしたのだ?こゝの二夫人や召使たちは」
巡邏がたずねると、美姫のひとりが、黙つて北の方を指さした。
この十美人は、いつか曹操から関羽へ贈り、関羽はそれをすぐ二夫人の側(そば)仕(づか)へに献上してしまひ、以来、そのまゝ内院に召使はれてゐた者たちであつた。
関羽は、曹操から贈られた珍貴財宝は、一物も手に触れなかつたが、この十美人もまた他の金銀緞匹と同視して、置き残して去つたものである。
——その朝、曹操は、虫が知らせたか、常より早目に起きて、諸将を閣へ招き、何事か凝議してゐた。
そこへ、巡邏からの注進が聞えたのである。
「——寿亭侯の印をはじめ、金銀緞匹の類(たぐひ)、すべてを庫内に封じて留(とゞ)めおき、内室には十美人をのこし、その餘の召使二十餘人、すべて関羽と共に、二夫人を車へのせて、夜明け前に、北門より立(たち)退(の)いた由にございます」
かう聞いて、満座、早朝から興をさました。猿臂将軍(ヱンピシヤウグン)蔡陽(サイヤウ)は云つた。
「追手の役、それがしが承(うけたま)はらん。関羽とて、何ほどのことやあらう。兵三千を賜はらば、即刻、召捕へて参りまする」
曹操は、侍臣のさし出した関羽の遺書をひらいて、黙然と読んでゐたが、
「いや待て。——われにこそ無情(つれな)いが、やはり関羽は真の大丈夫である。来ること明白、去ることも明白。まことに天下の義士らしい進退だ。——其方どもゝ、良い手本にせよ」
蔡陽は、赤面して、列後に沈黙した。
すると程昱は、彼に代つて、
「関羽には三つの罪があります。丞相の御寛大は、却(かへつ)て味方の諸将に不平をいだかせませう」
と、面を冒(をか)して云つた。
「程昱。なぜ、関羽の罪とは何をさすか」
「一、忘恩の罪。二、無断退去の罪。三、河北の使(つかひ)と密かに密書を交(かは)せる罪——」
「いやいや、関羽は初めから予に、三ケ条の約束を求めてをる。それを約しながら強(し)ひて履行を避けたのは、かくいふ曹操であつて、彼ではない」
「でも今——みす/\彼が河北へ走るのを見のがしては、後日の大患、虎を野へ放つも同様ではありませぬか」
「さりとて、追討ちかけて、彼を殺せば、天下の人みな曹操の不信を鳴らすであらう。——如(し)かず! 如かず!人各々その主ありだ。このうへは彼の心の赴くまゝ故主の許(もと)へ帰らせてやらう……。追ふな、追ふな。追討ち蒐(か)けてはならんぞ」
最後のことばは、曹操が曹操自身へ戒めてゐるやうに聞えた。彼のひとみは、さういふあひだも、北面したまゝ凝(ぢつ)と北の空を見つめてゐた。
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次回 → 関羽千里行(二)(2025年4月7日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。