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主(あるじ)がすべての客を謝して門を閉ぢてゐる時は、門にかういふ聯(レン)を懸けておくのが慣(なら)ひであつた。
また客も門にこの避客牌がかゝつてゐるときは、どんな用事があつても、黙々、帰つてゆくのが礼儀なのである。
曹操は、やがて関羽が、自身で暇(いとま)を乞ひに来るのを察してゐたので、豫(あらか)じめ牌を懸けておいたのだつた。
「……?」
関羽はやゝしばらく、その前に佇(たゝず)んでゐたが、ぜひなく踵(きびす)を回(めぐら)して、その日は帰つた。
次の日も早朝に、また来てみたが依然として避客牌は彼を拒んでゐた。
あくる日は夕方をえらんで、府門へ来てみた。
門扉は、夕べの中に、啞のごとく、盲のごとく、閉ぢられてある。
関羽はむなしく立ち帰ると、下邳このかた随身してゐる手飼(てかひ)の従者二十人ばかりを集めて、
「不日、二夫人の御車(みくるま)を推して、この内院を立ち去るであらう。物静かに、打立つ用意に取(とり)かゝれ」
と、いひつけた。
甘夫人は、狂喜のいろをつゝんで、関羽にたづねた。
「将軍、こゝを去るのは、いつの日ですか」
関羽は、口すくなく、
「朝夕(テウセキ)のあひだにあります」
と、漠然答へた。
彼はまた、出発の準備をするについて、二夫人にも云ひふくめ、召使(めしつかひ)たちにも、かたく云ひ渡した。
「この院に備へてある調度の品はもちろんのこと、日頃、曹操からそれがしへ贈つてきた金銀(キンギン)緞匹(ダンヒツ)、すべて封じ遺(のこ)して、ひとつも持ち去つてはならない」
なほ彼は、その間も、毎日、日課のやうに、府門へ出向いてみた。そしては、むなしく帰ることが七、八日に及んだ。
「ぜひもない。……さうだ、張遼の私邸をたづねて、訴へてみよう」
ところがその張遼も、病気と称して、面会を避けた。何と訴へても、家士は、主人に取次いでくれないのである。
「このうへは、ぜひもない!」
関羽は、長嘆して、ひそかに意を決するものがあつた。真つ正直な彼は、どうかして曹操と会ひ、そして大丈夫と大丈夫とが約したことの履行によつて、快く訣別したいものだと日夜苦しんでゐたのであるが、いまはもう百年開かぬ門を待つやうなものと考へた。
「何とて、この期(ゴ)に、意(こゝろ)を翻へさんや」
その夜、立ち帰ると、一封の書状をしたゝめて、寿亭侯の印と共に、庫(くら)の内にかけておき、なほ庫内いつぱいにある珠玉金銀の筥(はこ)、襴綾(ランレウ)種々(くさ/゛\)、緞匹の梱(こり)、山をなす、名什(メイジウ)宝器(ホウキ)など、すべての品々には、いち/\目録を添えて遺(のこ)し、あとを固く閉めてから、
「一同、院内隈(くま)なく、大掃除をせよ」
と、命じた。
清掃は夜半すぎまでかゝつた。その代りに、仄(ほの)白い残月の下には、塵一つなく浄められた。
「いざ、お供いたしませう」
一輛の車は、内院の門へ引きよせられた。二夫人は簾(レン)の裡(うち)にかくれた。
二十名の従者は、車に添つてあるいた。関羽はみづから赤兎馬をひきよせて打(うち)またがり、手に偃月の青龍刀をかかへてゐた。そして、車の露ばらひして北の城門から府外へ出ようとそこへさしかゝつた。
城門の番兵たちは、すはや車の裡(うち)こそ二夫人に相違なしと、立ち塞がつて留めようとしたが、関羽が眼をいからして、
「指など御車に触れてみよ、汝らの細首は、あの月辺まで飛んでゆくぞ」
そして、から/\と笑つたのみで、番兵たちは悉(こと/゛\)く震ひ怖れ、暁闇(ゲウアン)の其処(そこ)此処(ここ)へ逃げ散つてしまつた。
「さだめし、夜明けと共に、追手の勢がかゝるであらう、そち達は、ひたすら御車を守護して先へ参れ。かならず二夫人を驚かし奉るなよ」
云ひふくめて、関羽はあとに残つた。そして北大街(ホクダイガイ)の官道を悠々、たゞひとり後からすゝんでゐた。
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次回 → 関羽千里行(一)(2025年4月5日(土)18時配信)