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前回はこちら → 避客牌(ひきやくはい)(一)
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関羽の心底は、すでに決まつてゐる。彼の心はもう河北の空へ飛んでゐます。——
張遼が、さう有(あり)の儘(まゝ)に復命することばを、曹操は黙然と聞いてゐたが、
「あゝ、実に忠義なものだ。然(しか)し、予の真(まこと)でもなほ、彼を繫(つな)ぎ止めるに足らんか」
と、大きく嘆息して、苦悶を眉にたゞよはせたが、
「よしよし。このうへは、予に彼を留める一計がある」
と、つぶやいて、その日から府門の柱に、一面の聯(レン)を懸けて、猥(みだ)りに出入(シユツニフ)を禁じてしまつた。
——いまに何か沙汰があらう。張遼がなにか云つて来るだらう。関羽はその後、心待ちにしてゐたが、幾日たつても、相府からは何の使(つかひ)もない。
そのうちに、或る夜、番兵小屋をひきあげて、家にもどらうとすると、途中、物陰からひとりの男が近づいて来て、
「羽将軍。羽将軍……。これをあとで御覧ください」
と、何やら書簡らしい物を、そつと手に握らせて、風のやうに立(たち)去つてしまつた。
関羽はあとで愕(おどろ)いた。
彼は幾たびか独房の燈火(ともしび)を剪(き)つて、さん/\落涙しながらその書面を繰返した。
なつかしくも、それは玄徳の筆蹟であつた。しかも、玄徳は縷々(ルヽ)綿々(メン/\)、旧情を叙(の)べた末に、
君ト我トハ、カツテ一度ハ、
桃園ニ義ヲ結ンダ仲デアルガ、
身ハ不肖ニシテ、時マタ利アラズ、
徒(イタヅ)ラニ君ノ義胆ヲ
苦シマセルノミ。モシ君ガソノ
地ニ於テ、ソノ儘(マヽ)、
富貴ヲ望ムナラバ、セメテ今日迄(マデ)、
酬(ムク)イルコト薄キ自分トシテ、
備(自分のこと)ガ首級ヲ贈ツテ、
君ノ全功ヲ陰ナガラ禱リタイト思フ。
書中言ヲ尽サズ、旦暮(タンボ)
河南ノ空ヲ望ンデ、来命ヲ待ツ。
と、してあつた。
関羽は、劉備の切々な情言を、むしろ恨めしくさへ思つた。富貴、栄達——そんなものに義を変へるくらゐなら、何でこんな苦衷に忍ばう。
「いや勿体ない。自分の義は自分のむねだけでしてゐること。遠い御方が何も知らうはずはない」
その夜、関羽はよく眠らなかつた。そして翌る日も、番兵小屋に独坐して、書物を手にしてゐたが、なんとなく心も書物にはいらなかつた。
すると、ひとりの行商人がどこから紛れ込んで来たか、彼の小屋の窓へ立ち寄つて、
「お返辞は書けてゐますか」
と、小声で云つた。
よく見ると、ゆうべの男だつた。
「おまへは、何者か」
と、訊(たゞ)すと、さらに四辺を窺ひながら、
「袁紹の臣で陳震(チンシン)と申すものです。一日もはやくこの地を遁(のが)れて、河北へ来給へとお言(こと)伝(づ)てゞございます」
「こゝろは無性に逸(はや)るが、二夫人のお身を守護して参らねばならん……身ひとつなれば、今でもゆくが」
「いかゞなさいますか。その脱出の計は」
「計も策もない。さきに許都へまゐる折、曹操とは三つの約束をしてある。先頃から幾つかの功をたてゝ、他(よそ)ながら彼への恩返しもしてあることだから、あとはお暇(いとま)を乞ふのみだ。——来るときも明白に、また、去るときも明白に、かならず善処してまゐる」
「……けれど、もし曹操が、将軍のお暇をゆるさなかつたら何(ど)うしますか」
関羽は、微笑して、
「そのときは、肉体を捨て、魂魄と化して、故主のもとに罷(まか)り帰るであらう」と、云つた。
関羽の返事を得ると、陳震は、すばやく都から姿を消した。
関羽は次の日、曹操に会つて、自身暇を乞はうと考へて出て行つたが、彼のゐる府門の柱を仰ぐと、
謹謝訪客叩門(つゝしんではうきやくのこうもんをしやす)
と書いた「避客牌」が懸かつてゐた。
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次回 → 避客牌(三)(2025年4月4日(金)18時配信)
昭和16年(1941)4月4日(金)付夕刊の「三国志」は休載でした。これに伴い、明日の配信はありません。