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玄徳が河北にゐるといふ事実は、やがて曹操の耳にも知れてきた。
曹操は、張遼をよんで、
「ちか頃、関羽の容子は、どんなふうか」
と、たづねた。
張遼は、答へて、
「何か、思ひ事に沈んでをるらしく、酒もたしなまず、無口になつて、例の内院の番兵小屋で、日々読書してをります」
と、はなした。
曹操の胸にはいま、気が気でないものがある。もちろん張遼もそれを察して、ひどく気を傷(いた)めてゐるところなので、
「近いうちに、一度てまへが、関羽をたづねて、彼の心境をそれとなく探つてみませう」
と、云つて退がつた。
数日の後。
張遼はぶらりと、内院の番兵小屋を訪れた。
「やあ、よくお出で下すつた」
関羽、書物をおいて、彼を迎へ入れた。——と云つても、門番小屋なので、ふたりの膝を入れると、いつぱいになるほどの狭さである。
「何を読んでをられるのか」
「いや、春秋(シユンジウ)です」
「君は、春秋を愛読されるか。春秋のうちには、例の有名な管仲(クワンチウ)と鮑叔(ホウシユク)との美しい古人の交(まじは)りが書いてある条(くだり)があるが、——君は、あそこを読んでどう思ふ」
「べつに、どうも」
「羨(うらや)ましいとはお思ひにならぬか」
「……さして」
「なぜですか。たれも春秋を読んで、管仲と鮑叔の交わりを羨望しないものはない。——我ヲ生ムモノハ父母、我ヲ知ルモノハ鮑叔ナリ——と管仲が云つてゐるのを見て、ふたりの信を羨まぬものはないが」
「自分には、玄徳といふ実在のお人があるから、古人の交りも、羨むに足りません」
「はゝあ。……では貴公と玄徳とのあひだは、いにしえの管仲、鮑叔以上だと云ふのですか」
「もちろんです。死なば死もともに。生きなば生をともに。管仲、鮑叔ごとき類(たぐひ)とひとつに語れませぬ」
奔流のなかの磐石は、何百年激流に洗はれてゐても、やはり磐石である。張遼はかれの鉄石心にけふも心を打たれるばかりだつたが、自分の立場に励まされて、
「——では、この張遼と貴公との交はりは、どうお考へですか」
と、斬り込むやうに、一試問を出してみた。すると、関羽は、はつきりと答へた。
「稀々(たま/\)、御身を知つて、浅からぬ友情を契り、ともに吉凶を相(あひ)救(たす)け、ともに患難を凌(しの)ぎあつて参つたが、ひとたび君臣の大義に〔もと〕るやうな事にでも立ちいたれば、それがしの力も及びません」
「では、君と玄徳との、君臣の交はりとは、較べものにならぬ——といふわけですな」
「訊くも愚(おろか)でせう」
「然(しか)らばなぜ君は、玄徳が徐州で敗れた折、命をすてゝ戦はなかつたか」
「それを止めたのは、貴公(あなた)ではなかつたか」
「……むゝむ。……だが、さまで一心同体の仲ならば」
「もし、劉皇叔死し給へりと知らば、関羽はけふにも死にませう」
「すでにご存じであらうが、いま玄徳は河北にゐます。——御辺もやがて尋ねてゆくお考へでござらうな」
「いみじくも仰せ下さつた。昔日(そのかみ)の約束もあれば、かならず約を果(はた)さんものと誓つてゐます。——ちやうどよい折、どうか貴男から丞相に告げてそれがしの為にお暇(いとま)をもらつてください。このとほりお願ひいたす」
と関羽は莚(むしろ)に坐り直して張遼を再拝した。
(——さては此人、近いうちに都を去つて故主の許(もと)へ回(かへ)る決心であるな)
と、張遼も、いまは明(あきら)かに観ぬいて心に愕(おどろ)きながらその足ですぐ曹操の居館へいそいだ。
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次回 → 避客牌(ひかくはい)(二)(2025年4月2日(水)18時配信)