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前回はこちら → 風の便り(二)
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【前回迄の梗概】
後漢末の乱世に乗じて英雄各地に割拠したが、許都に献帝を擁して立つ曹操の勢は旭日の如く、徐州を攻めて玄徳を河北の袁紹のもとに走らしめ、その義弟関羽を懐柔して麾下にしようとしてゐる。
玄徳との義を重んずる関羽は、玄徳の二夫人を奉じ、心ならずも敵中に養はれ、袁紹の二武将文醜、顔良を討ち太功をたて漢之寿亭侯に奉ぜられるが、心は楽しまない。
たま/\汝南に黄巾賊の残党討伐に向つた彼は、陣中にて故友孫乾に逢ひ、旧主玄徳が無事袁紹のもとにゐることを知つて大いに喜ぶ……
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祝盃また大杯を辞せず、かさねて、やゝ陶然となつた関羽は、やがて、その巨軀(キヨク)をゆらゆら運んで退出して来た。
大酔はしてゐたが、帰るとすぐ、彼は、二夫人の内院へ伺候(シコウ)して、
「たゞ今、汝南より凱旋ゐたしてござる。留守中なんのお恙(つゝが)もなく居らせられましたか」
と、久しぶり拝顔して、四方山(よもやま)ばなしなどし初めた。
すると靡夫人(ママ)は、
「将軍、妾(わらは)の待ち侘(わ)びてゐたのは、そのやうな世間ばなしではありません。戦ひの途次、なんぞわが夫(つま)玄徳の便りでも聞かなんだか。お行方を知る手懸りでも耳にしなかつたか……」
と、もう涙ぐんで訊ねた。
関羽は、大々(ダイ/\)した腹中から、大きな酒気を吐いて、憮然と、
「その儀については、まだ手懸りもありませぬ。さりながら、この関羽がついてをります故、餘りにお心を苦しめたまふな。何事も、関羽におまかせあつて、時節をお待ち遊ばすやうに」
——と。靡夫人(ママ)も、甘夫人も、珠簾(ジユレン)の裡(うち)に伏し転(まろ)んで、声を放つて泣き悲しんだ。
そして恨めしげに、関羽へ云ふには、
「さだめし、わが夫(つま)は、もうどこかでお討死を遂げてゐるのでせう。それと話しては、妾(わらは)たちが、嘆き悲しむであらうと将軍の胸だけに包んでゐるにちがいない。……さうです、さうに違ひない。……あゝどうしたらよいであらう」
かうも思ひ、あゝも思ひ、女性の感傷は、纒綿(テンメン)と涙と戯れてゐるやうだつた。甘夫人も、共に慟哭しながら、こよいの関羽の酒気をひがんで云つた。
「羽将軍も、むかしと違つて、いまは曹操の寵遇(チヨウグウ)も厚く、恩にほだされて、妾(わたし)たちが足手纒(まと)ひになつて来たのでございませう。……それならそれと云つてください。いつそのこと、将軍の剣で……妾(わらは)たちの儚(はかな)い生命(いのち)をひと思ひに」
「何を仰せられますか」
酔も醒めて、関羽は胸を正した。そして改まつて二夫人へかう諭した。
「それがしの苦衷も少しはお酌みとりくだされい。曹操の恩に甘へるくらゐなら何でこんな忍苦をしてをりませう。皇叔のお行方についても、曙光が見えかけてをりますが、もし貴女(あなた)様がたにお告げして、それがふと内走(ナイソウ)の下女から外にでも洩れては、これまでの苦心も水泡に帰するやも知れずと……実は深く秘してゐる次第でございまする」
「えつ、何といやるか。……では、皇叔のお行方がすこしは分りかけてゐるのですか」
「されば、河北の袁紹に身を寄せられて、先頃は黄河の後陣まで御出馬と、ほのかに聞き及んではをりますものゝ、それとてもまだ風の便り、もつと確(たしか)めてみなければわかりません」
「将軍、それは、誰に聞きましたか」
「孫乾に出会ひ、かれの口から聞いたことです。やがて確(しか)としたことがわかれば、孫乾が、途中まで迎へに出てゐる約束になつてをります」
「そ、それでは、この内院を捨てて、許都から脱れ出るおつもりか……」
「叱(シツ)……」
関羽は不意にふり向いて、内院の苑(には)をじつと見てゐた。風もないのに、そこらの樹木がさや/\と揺れたからである。
「……まだ、まだ、滅多なことを、お口に出してはいけません。再び、皇叔と御対面ある日までは凝(じつ)とお身(み)静(しづか)に、たゞこの関羽をお恃(たの)みあつて、何事も素知らぬふうにお暮しあれ。壁にも耳、草木にも眼が潜んでをるものと、お思ひ遊ばして」
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次回 → 避客牌(ひきやくはい)(一)(2025年4月1日(火)18時配信)