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故主玄徳はいま、河北に無事でゐると聞いて、関羽は爛々たる眼(まなこ)に、思慕の情を燃やしながら、しばらく孫乾(ソンカン)の顔を見まもつてゐたが、やがて大きな歓びを、ほつと息づいて、
「さうか。……あゝ有難い。だがまさかおれを歓ばすために、根もない噂を聞かすのではあるまいな」
「なんの、汝南へ来た袁紹の家臣から聞ゐたことだから、万(バン)まちがひはない」
「天の御加護とやいはん」
関羽は、瞼をとぢて、何ものかへ、恩を謝してゐるふうだつた。
孫乾(ソンカン)は、さらに声をひそめて、
「汝南の匪軍と、袁紹とは、いま云つたやうなわけで、一脈の聯絡があるのだ。……だから明日(ミヤウニチ)の戦では、劉辟、龔都の二頭目も、みな偽つて逃げるから、そのつもりで手心よろしく攻め給へ」
「何で、彼等が、偽つて逃げるのか」
「匪軍の将ながら、劉辟も龔都もかねて心のうちで、ふかく其許(そのもと)を慕つてをつた。で、此たび羽将軍が攻め下つて来ると聞くと、むしろ歓びをなしたほどなのだ。併(しか)し一面、袁紹と結んでゐる関係もあるから、戦はぬわけにもゆかぬ」
「わかつた。彼等がその心ならば、手心をしよう。それがしは平定の任を果(はた)せばそれでよい」
「そして、一度、都へ帰られた上、二夫人を守護してふたゝび汝南へ下つて参られい」
「おゝ、一日も急がう。……すでに御主君の居どころが分つたからには、一刻半日も〔じつ〕としてゐられない心地はするが、その御居所が、袁紹の軍中だけに、もしそれがしが不意に行つたら、どんな変を生じようも測り難い。——なにせい先に顔良、文醜などの首をみなこの関羽が手にかけてをるからな」
「では、かうしませう。……この孫乾(ソンカン)が、先に河北へ行つて、豫(あらか)じめ袁紹とその周囲の空気を探つておきます」
「む、む。それなら万全だ。身に変事のかゝることは怖れぬが、彼に身を寄せ給うてゐる御主君が心がかり……。頼むぞ、孫乾(ソンカン)」
「お案じあるな、きつと、そこを確(たしか)めて、あなたが二夫人を守護して来るのを、半途まで出て待つてゐませう」
「おゝ、一刻もはやく、主君の御無事なおすがたを見たいものだ。ひと目、その思ひを果(はた)せばそれだけでも、関羽は満足、いつ死んでもよい」
「なんの、これからではありませんか、羽将軍にも似あはしくない」
「いや、気持のことだ。それほどまで待ち遠いというた迄(まで)のこと」
陣中すでに更けてゐる。
関羽は、裏門からそつと、孫乾ともう一名の間諜を送り出した。
「怪しげな密談を?……」
と、宵から注意してゐた副将の于禁、楽進のふたりは物陰からそれを見てゐた。しかし関羽を怖れてそこでは何の干渉もなし得なかつた。
あくる日。匪軍との戦は、豫定どほりの戦となつた。
賊将の劉辟、龔都のふたりは、颯爽と陣頭へあらはれたが、またすぐ頗(すこぶ)る大仰に関羽に追はれて退却しだした。首を取る気もないが逃げるを追つて、関羽も物々しくうしろへ迫つた。
すると龔都がふり向いて、
「忠誠の鉄心、われら土匪にすら通ず、いかで天の感応なからん。——君よ、他日来給(たま)へ。われかならず汝南の城をお譲りせん」
と、云つた。
関羽は苦もなく州郡を収めて、やがて軍をひいて都へ還つた。
兵馬の損傷は当然すくない。
しかも、功は大きかつた。曹操の歓待はいふまでもない。于禁、楽進はひそかに曹操に訴へる機を狙つてゐたが、曹操の関羽にたいする信頼と敬愛の頂点なのを見ては〔へた〕に横から告げ口も出せなかつた。
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次回 → 風の便り(三)(2025年3月31日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。