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郭図、審配の二大将は、憤々と、袁紹の前に告げてゐた。
「怪(け)しからん沙汰です。このたび文醜を討つたのも、やはり玄徳の義弟(おとと)関羽だといふことですぞ」
「それは、まつたくか」
「こんどは明(あきら)かに漢寿亭侯関羽と誌(しる)した小旗を負つて、戦場へ出たさうですから、事実でせう」
「玄徳を呼べ。いつぞやは巧言をならべをつたが、今日はゆるさん」
度(たび)重なる味方の損害に、気の腐つてゐた折でもある。袁紹は、やがて面前に玄徳を見ると、嫌味たツぷり詰問した。
「大耳君(ダイジクン)、辯解の餘地もあるまい。袁紹も何も云はん。たゞ君の首を要求する」
斬れ——と彼が左右の将に命じたので、玄徳は愕(おどろ)いてさけんだ。
「お待ちなさい。あなたは、好んで曹操の策に、乗る気ですか」
「汝の首を斬ることが、なんで曹操の策に乗ることにならうや」
「いや、曹操が関羽を用ひて、顔良、文醜を討たせたのは、偏(ひとへ)に、あなたの心を怒らせて、この玄徳を殺させるためです。考へても御覧なさい。この玄徳はいま、将軍の恩養をうけ、しかも一軍の長に推され、何を不足にお味方の不利を計りませうや。ねがはくば御賢察ください」
玄徳の特長はその生(き)真面目(まじめ)な態度にある。彼の言葉は至極平凡で、滔々(タウ/\)の辯でもなく、何等(なんら)の機智もないが、たゞ〔けれん〕や駈引(かけひき)がない。醇朴と真面目だけである。内心はともかく、人にはどうしてもさう見える。
袁紹は形式家だけに、玄徳のさういふ態度を見ると、すぐ一時の怒りを悔いた。
「いや、さうきけば、自分にも誤解があつた。もし一時の怒りから御辺を殺せば袁紹は賢を忌むもの——と世の嘲笑をうけたらう」
気色が直ると、彼はまた、甚だ慇懃鄭重であつた。敬(つゝし)んで、玄徳を座上に請(シヤウ)じ、
「かう敗軍をかさねたのも、御辺の義弟(おとと)たる関羽が敵の中にある為。……何とか、そこに御辺として、思慮はあるまいか」
と、諮(はか)つた。
玄徳は、頭(ヅ)を垂れて、
「さう仰せられると、自分も責任を感ぜずにはをられません」
「ひとつ、御辺の力で、関羽をこつちへ招くことはできまいか」
「私が、今こゝに来てゐることを、関羽に知らせてやりさへすれば、夜を日についでも、これへ参らうと思ひますが」
「なぜ早くさういふ良計を、わしに献策してくれなかつたのか」
「義弟とそれがしの間に、まつたく消息がなくてさへ、常に、お疑ひをうけ勝ちなのに、もし密かに、関羽と書簡を通じたりなどゝ云はれたら、忽ち禍のたねになりませう」
「いや、悪かつた。もう疑はん。さつそく消息を通じ給へ。もし関羽が味方にきてくれゝば、顔良、文醜が生き回(かへ)つて来るにも勝る歓びであらう」
玄徳は拝諾して、黙々、自分の陣所へ帰つた。
幕営のそと、星は青い。
玄徳はその夜、一(イツ)穂(スイ)の燈火を垂れ、筆をとつて、細々(こま/゛\)と何か書いてゐた。
——もちろん関羽への書簡。
時折、筆をやめて、瞑目した。往事今来、さまざまな感慨が胸を往来するのであらう。
燈火は、陣幕をもる風に、パチパチと明るい丁子(チヤウジ)の花を咲かせた。
「あ……。再会の日は近い!」
彼は、つぶやいた。燈火明るきとき吉事あり——といふ易経(エキキヤウ)の一辞句を思ひだしたからである。一点、彼の胸にも、希望の灯が燈(とも)つた。
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今回で14冊単行本の巻の五「臣道の巻」に当たる部分は終了です。次回からは巻の六「新野の巻」に入ります。
次回 → 風の便り(一)(2025年3月28日(金)18時配信)