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前回はこちら → 燈花占(二)
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謎の敵将関羽?
兄の顔良を討つた疑問の人物?
——文醜はぎよつとしながら駒をとめて、なほ河べりの水明りを凝視した。
すると、肩に小旗をさした彼方(あなた)の大将は、早くも、文醜の影を認めて、
「敗将文醜。何をさまようて居るか。いさぎよく、関羽に首を授けよ」
と、一鞭して馳け寄つて来た。
馬は、逸足(イツソク)の赤兎馬。騎(の)り人(て)は、まぎれもない赤面長髯の人、関羽だつた。
「おゝつ、汝であつたか。さきごろわが兄の顔良を討つた曲者は」
喚(おめ)きあはせて、文醜も、直(すぐ)に大剣を舞はして迫つた。
閃々(セン/\)、偃月(えんげつ)の青龍刀。
晃々(クワウ/\)、文醜の大剣。
たがぐに命を賭して、渡りあふこと幾十合、その声、その火華は黄河の波を号(よ)び、河南の山野に谺(こだま)して、あたかも天魔と地神が乾坤を戦場と化して組み合つてゐるやうだつた。
そのうち、敵(かな)はじと思つたか、文醜は急に馬首をめぐらして逃げ出した。これは彼の奥の手で、相手が図に乗つて追ひかけて来ると、その間に、剣を収め、鉄の半弓を持ち換へて、振向きざま〔ひようつ〕と鉄箭を射て来る策(て)であつた。
だが、関羽には、その作戦も効果はなかつた。二の矢、三の矢もみな払ひ落され、遂に、追ひつめられて、後(あと)から青龍刀の横(よこ)薙(な)ぎに首の根へ一撃喰つてしまつた。文醜の馬は、首のない彼の胴体を乗せたまゝ、なほ、果てもなく黄河の下流へ駈けて行つた。
「敵将文醜の首、雲長関羽の手に挙げたり」
と呼ばはると、百里の闇をさまよつてゐた河北勢は、拍車をかけて、更に逃げ惑つた。
「今ぞ、今ぞ。みなごろしに、追ひつめろ」
曹操は、かくと伝へ聞くや、中軍の鼓隊(コタイ)鑼隊(ラタイ)に令して、金鼓を打たせ鉦(かね)を鳴らし、角笛を吹かせて、万雷風声、すべて敵を圧した。
討たれる者、黄河へ墜(お)ちて溺れ死ぬ者、夜明けまでに、河北勢の大半は、あへなく曹軍の餌(ゑ)になつてしまつた。
時に玄徳は、この戦のはじめから、文醜に邪魔もの扱ひにされて、ずつと後陣に屯(たむろ)してゐたが、漸く逃げくづれて来る先鋒の兵から、味方の第一陣の惨敗を聞き取つて、
「こゝとても油断はならぬ」
と、厳しく陣容を守りかためてゐた。
そして、はう/\逃げこんで来る敗兵がみな、口々に、
「文将軍を討つたのも、さつきに顔将軍を討つた髯(ひげ)の長い赤面の敵だ」
といふので、夜明けとともに、玄徳は一隊を率ゐて前線の近くまで馬をすゝめて見た。
黄河の支流は、ひろい野に、小さい湖や大きな湖を、無数に縫ひつないでゐる。ふかい春眠の霞を脱いで、山も水も鮮(あざや)かに明け放れてはゐるが、夜来の殲滅戦は、まだ河むかふに、大量な人物を撒(ま)いて咆哮してゐた。
「オヽ、あの小旗、あの白い小旗をさしてゐる男です」
案内に立つた敗兵のひとりが支流の対岸を指した。百獣を追ひまはす獅子王のやうな敵の一大将が遠く見える。
「……?」
玄徳はやゝしばらく眸をこらしてゐた。小旗の文字が微(かす)かに読まれた。「漢寿亭侯雲長関羽」——陽(ひ)に翻るとき明(あきら)かにさう見えた。
「ああ!……義弟(おとと)だ。関羽にちがひない」
玄徳は瞑目して、心中ひそかに彼の武運を天地に祈念してゐた。
すると、後方の湖を渡つて、曹操の軍が退路を断つと聞えたのであわてゝ後陣へ退(ひ)き、その後陣も危(あやふ)くなつたので、またも十数里ほど退却した。
その頃、袁紹の救ひが漸く河を渡つて来た。で、合流して一時、官渡の地へひき移つた。
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次回 → 燈花占(四)(2025年3月27日(木)18時配信)