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荀攸は、曹操の計略をよく察してゐたのだつた。
で、浮腰(うきこし)立つ味方へ、ついに自分の考へを口走つたのであるが、いまや大事な戦機とて、
(要らざることを云ふな!)
と、曹操から眼をもつて叱られたのも当然であつた。
まづ味方から計(はか)る——曹操の計略は、まもなく図に中(あた)つて来た。
文醜を大将とする河北軍は、敵なきごとく前線をひろげ、いちどは、七万の軍隊が後方に大きな無敵圏を抱いたが、
「戦果は充分にあげた。勝ち誇つて、単独に深入りするは危(あやふ)いぞ」
と、文醜も気づいて、日没頃、ふたたび各陣の凝結を命じた。
後方の占領圏内には、まつさきに潰滅した曹操の輜重隊が、諸所に、莫大な粮米や軍需品を置き捨てゝある。
「さうだ、鹵獲(ロクワク)品は、みなこつちの隊へ運んで来い」
後方に退(さ)がると、諸隊は争つてこんどは兵糧の〔あばき〕合ひを初めた。
山地はとつぷり暮(くれ)てゐた。曹操は、物見の者から、敵情を聞くと
「それつ、阜(をか)を降(くだ)れつ」
と、指揮を発し、全軍の豹虎が、ふもとへ降りたと見ると、阜(をか)の一端から狼煙(のろし)をあげさせた。
昼のうち、敗れては逃げるとみせて、実は野(ヤ)に阜(をか)に河に林に、影を没してゐた味方は、狼煙を知ると、大地から湧き出したやうに、三面七面から奮ひ起(た)つた。
曹操も、野(の)を疾駆しながら、
「昼、捨ておいた兵糧は敵を大網にかける撒餌(まきゑ)の計だ。網をしぼるやうに、雑魚(ざこ)一尾のがすな」
と、さけび、また叱咤をつゞけて、
「文醜(ぶんしゆう)を生捕れ、文醜も河北の名将、それを生捕らば、顔良を討つた功に匹敵しようぞ!」
と、励ました。
麾下の張遼やら徐晃やら、先を争つて追ひかけ、遂に文醜のすがたを乱軍の中にとらへた。
「きたなし文醜。口ほどもなく何処(どこ)へ逃げる」
うしろの声に、文醜は、
「なにをツ」
と、振向きざま、馬上から鉄の半弓に太矢(ふとや)を番(つが)へて放つた。
矢は、張遼の面(おもて)へきた。
はツと、首を下げたので、鏃(やじり)は盔(かぶと)の紐を射切つて外(そ)れた。
「おのれ!」
怒り立つて、張遼が、うしろへ迫らうとした刹那、二の矢が来た。こんどは躱(かは)すひまなく、矢は彼の顔に突き立つた。
〔だう〕つと、張遼が馬から落ちたので、文醜は引つ返して来た。首を搔いて持つてゆかうとしたのである。
「胆太い曲者(くせもの)め」
徐晃が、躍り寄つて、張遼をうしろへ逃がした。徐晃が得意の得物といへば、つねに持ち馴れた大鉞(おほまさかり)であつた。みづから称して白焔斧(ビヤクエンプ)といつてゐる。それをふり被(かぶ)つて文醜に当つて行つた。
文醜は、一躍退(さ)がつて鉄弓を鞍に挟み、大剣を横に払つて、苦々(にが/\)と笑つた。
「小僧つ、少しは戦に馴れたか」
「大言はあとで云へ」
若い徐晃は、血気にまかせた。しかし弱冠ながら彼も曹幕の一(イチ)驍将(ゲウシヤウ)だ。さうむざ/\はあしらへない。
大剣と白焔斧は、三十餘合の火華を交(まじ)へた。徐晃もつかれ果て、文醜もみだれ出した。四方に敵の嵩(かさ)まるのを感じ出したからである。
一隊の悍馬(カンバ)が、近くを横切つた。文醜はそれを機(しほ)に、黄河のはうへ逸走した。——すると一すじの白い旗さし物を背にして、十騎ほどの郎党を連れた騎馬の将が彼方から歩いて来た。
「敵か?味方か?」
と、疑ひながら、彼のさしてゐる白い旗を間近まで進んで見ると、何ぞはからん、墨黒々、
漢寿亭侯雲長関羽
と、書いてある。
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次回 → 燈花占(三)(2025年3月26日(水)18時配信)