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前回はこちら → 黄河を渡る(二)
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関羽が、顔良を討つてから、曹操が彼を重んじることも、また昨日の比ではない。
「何としても、関羽の身をわが帷幕から離すことはできない」
いよ/\誓つて、彼の勲功を帝に奏し、わざ/\朝廷の鋳工(チユウコウ)に封侯の印を鋳させた。
それが出来上ると、彼は張遼を使(つかひ)として、特に、関羽の手許へ持たせて遣(や)つた。
「……これを、それがしに賜はるのですか」
関羽は一応、恩誼を謝したが、受けるともなく、印面の文を見てゐた。
寿亭侯(ジユテイコウ)之(の)印(イン)
と、ある。
すなはち寿亭侯に封ずという辞令である。
「お返しいたさう。お持ち帰りください」
「お受けにならんのか」
「芳誼(ハウギ)は辱(かたじ)けなうござるが」
「どうして?」
「ともあれ、これは……」
何と説いても、関羽は受け取らない。張遼はぜひなく持ち帰つて、有のまゝ復命した。
曹操は、考へこんでゐたが、
「印を見ぬうちに断つたか。印文を見てから辞退したのか」
「見てをりました。印の五文字を凝(じつ)と……」
「では、予の過(あやま)りであつた」
曹操は、何か気づいたらしく、早速、鋳工を呼んで、印を改鋳させた。
改めて出来てきた印面には、漢の一字が殖(ふ)えてゐた。
——漢(カンの)寿亭侯之印——と六文字になつてゐた。
ふたゝびそれを張遼に持たせてやると、関羽は見て、呵々(カヽ)と笑つた。
「丞相は実によくそれがしの心事を知つてをられる。もしそれがし風情(フゼイ)の如く、倶(とも)に臣道の実を践(ふ)む人だつたら、われ等とも、よい義兄弟に成れたらうに」
さう云つて、こんどは快く、印綬を受けた。
かゝる折に、戦場から早馬が到来して、「袁紹の大将にして、顔良の弟にあたる文醜が、黄河を渡つて、延津まで攻め入つてきました」
と、急を報じて来た。
曹操は、あわてなかつた。
まづ行政官を先に派遣して、その地方の百姓をすべて、手際よく、西河(セイカ)といふ地に移させた。
次に、自身、軍勢をひきゐて行つたが、途中で、
「荷駄(にだ)、粮車(ラウシヤ)すべての輜重隊は先へ進め。——戦闘部隊はずつと後につゞいてゆくがいゝ」
と、変な命令を発した。
「こんな行軍法があらうか?」
人々は怪しんだが、ぜひなく、その変態陣のまゝ、延津へ馳せ向つた。すると案のぢやう、戦闘装備を持たない輜重隊は、まつ先に敵に叩かれた。夥(おびたゞ)しい兵糧を置き捨てゝ、曹軍の先頭は、四方に潰走してしまつた。
「案ずるに及ばん」
曹操は、立騒ぐ味方をしづめ、
「兵糧など捨て置いて味方の一隊は、北へ迂回し、黄河に沿つて、敵の退路を扼(ヤク)せ、——また一隊は、逃げるが如く、南の阜(をか)へ馳けのぼれ」
と、下知した。
戦はぬうちから、すでに曹軍は散開を呈して、兵の凝集力を缺き、士気も昂(あが)らない様子を見たので、文醜は、
「見ろ、すでに敵は、わが破竹の勢ひに恐れをなして、逃げ腰になつてゐる」
と、誇りきつた。
そして、この図を外すな、とばかり彼の大兵は、存分に暴れまはつた。
盔(かぶと)や甲(よろひ)も脱いで、悠々と阜(をか)のうへに潜りこんでゐた曹操の部下も、すこし気が気ではなくなつて来た。
「どうなる事だ。今日の戦(いくさ)は。……こんなことをしてゐたら、やがてこゝも」
と、ほんとの逃げ腰になりかけて来た。
すると荀攸(ジユンシウ)が、物陰から、
「いや、勿怪(もつけ)の幸ひだ。これでいいんだ!」
と、あたりの者へ呶鳴つた。
すると曹操が、ジロリと、荀攸(ジユンシウ)の顔を白眼で見た。
荀攸は、はつと、片手で口を抑(おさ)へ、片手で頭を搔(か)いた。
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次回 → 燈花占(二)(2025年3月25日(火)18時配信)