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時しも春。
河南の草も萌え、河北の山も淡(うす)青(あを)い。江風は温(ぬる)く、関羽の髮をなぶり、赤兎馬の鬣(たてがみ)をそよ吹いてゆく。
久しく戦場に会はない赤兎馬は、けふこゝに、呂布以来の騎(の)り人(て)を得、尾ぶるひして嘶(いなゝ)いた。
「退けや。関羽雲長の道を阻んで、むだな生命をすてるな」
やをら、八十二斤といふ彼の青龍刀は鞍上から左右の敵兵を、薙(な)ぎはじめてゐた。
圧倒的な優勢を誇つてゐた河北軍は、
「何が来たのか?」
と、にはかに崩れ立つ味方を見て疑つた。
「関羽。関羽とは何だ」
知るも知らぬも、暴風の外にはゐられなかつた。
関羽が通るところ、見るまに、累々の死屍が積みあげられてゆく。
その姿を「演義三国志」の原書は、かう書いてゐる。
——香象(カウザウ)の海をわたりて、波を開(あ)けるがごとく、大軍わかれて、当る者とてなき中を、薙ぎ払ひてぞ通りける……。
顔良は、それを眺めて、
「やゝや、面妖な奴かな。玄徳が義弟(おとうと)の関羽だと。——よしツ」
颯(サツ)と、大将幡(タイシヤウバン)の下を離れ、電馳して駒を向けた。
——より早く、関羽も、幡を目あてに近づいてゐた。それと、彼のすがたを見つけてゐたのである。
赤兎馬の尾が高く躍つた。
一閃の赤電が、物を目がけて、雷撃してゆくやうな勢ひだつた。
「顔良は、汝かつ」
それに対して、
「おつ、われこそは」
と、だけで、次を言ひつゞける間はなかつた。
偃月の青龍刀は、ぶうつん、顔良へ落ちて来た。
その迅さと、異様な圧力の下から、身を交(かは)すこともできなかつた。
顔良は、一刀も酬いず、偃月刀のたゞ一揮(イツキ)に斬り下げられてゐたのである。
ジヤン!と凄(すさま)じい金属的な音がした。鎧も甲(かぶと)も真二つに斬れて、噴血一丈、宙へ虹を残して、空骸(むくろ)は婆娑(バサ)と地にたゝきつけられてゐた。
関羽はその首を取つて悠々駒の鞍に結(ゆ)ひつけた。
そして忽ち、敵味方のなかを馳けてどこかへ行つてしまつたが、その間、まるで戦場に人間は居ないやうであつた。
河北勢は旗を捨て、鼓(コ)もとり落して潰乱を起してゐた。
もちろん機を見るに敏な曹操が戦機を察して直(たゞち)に、
「すはや、今だぞ」
と、総がゝりを下知し、金鼓鉄弦地を震(ふる)つて、攻勢に転じたからであつた。
張遼、許褚なども、さん/゛\に働き、こゝ数日来の敗戦を思ふさま仕返しした。
関羽は忽ち、以前の山へ帰つて来てゐた。顔良の首は、曹操の前にさし置かれてある。曹操はたゞもう舌を巻いて、
「羽将軍の勇はまことに人勇ではない。神威ともいふべきか」
と、嘆賞して止(や)まなかつた。
「何の、それがし如きはまだ云ふに足りません。それがしの義弟に燕人(エンジン)張飛といふ者があります。これなどは大軍の中へはいつて、大将軍の首を持つてくることまるで木に登つて桃を獲(と)るより容易(たやす)くゐたします。顔良の首など、張飛に拾はせれば嚢(ふくろ)の中の物を取出すやうなものでせう」
と、答へた。
曹操は、胆(きも)を冷やした。そして左右の者へ、冗談半分に云つた。
「貴様たちも覚えておけ。燕人張飛といふ名を、帯(おび)の端(はし)襟(えり)の裏にも書いておけ。さういふ超人的な猛者(もさ)に逢つたら、ゆめ/\軽々しく戦ふなよ」
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次回 → 黄河を渡る(一)(2025年3月20日(木)18時配信)