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前回はこちら → 白馬(はくば)の野(の)(二)
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顔良の疾駆するところ、草木もみな朱(あけ)に伏した。
曹軍数万騎、猛者も多いが、ひとりとして当り得る者がない。
「見よ、見よ。すでに顔良一人のために、あのざまぞ。——たれか討取るものはゐないか」
曹操は、本陣の高所に立つて声をしぼつた。
「てまへに仰せつけ下さい。親友宋憲の仇(あだ)、報いずにはおきません」
「オヽ、魏続か、行けつ」
魏続は、長桿(チヤウカン)の矛(ほこ)を把(と)つて、驀(まつ)しぐらに駆け出し、敢然顔良へ馬首をぶつけて挑んだが、黄塵煙るところ、刀影わづか七、八合、顔良の一喝に人馬諸共、斬り仆された。
つゞいて、名乗りかける者、取囲む者、悉(こと/゛\)く顔良の好餌(カウジ)となるばかりである。さすがの曹操も胆を、冷やし、
「あはれ、敵ながら、すさまじき大将かな」
と、舌打して顫(おのゝ)いた。
彼ひとりのため、右翼は潰滅され、餘波はもう中軍にまで及んできた。丞相旗をめぐる諸軍すべて翩翻(ヘンポン)とたゞ震(おのゝ)き恐れて見えたが、その時、
「オヽ、徐晃が出た。——徐晃が出て行つた」
と、口々に期待して、どつと生気を甦(よみがへ)らせた。
見れば、いま、中軍の一端から、霜毛馬(サウモウバ)に跨つて、白炎(ビヤクエン)の如き一斧(イツプ)をひつさげ、顔良目がけて喚きかゝつた勇士がある。これなん曹操の寵士(チヨウシ)で、また許都随一の勇名ある弱冠の徐晃だつた。
両雄の刀斧(タウフ)は、烈々、火を降らして戦つたが、二十合、五十合、七十合、得物も砕けるかと見えながら猶(なほ)、勝負はつかない。
しかし、顔良の猛悍(マウカン)と粘りは、つひに弱冠徐晃を次第々々に疲らせて行つた。いまは敵せずと思つたか、さしもの徐晃も、斧を敵へ抛(なげう)つて、乱軍のうちへ逃げこんでしまつた。
時すでに、薄暮に迫つてゐた。
やむなく曹操は、一時、陣を十里ばかり退(ひ)いて、その日の難はからくも免れたが、魏続、宋憲の二大将以下夥(おびたゞ)しい損害と不名誉をもつて、ひとりの顔良に名をなさしめたことは、何としても無念でならなかつた。
すると翌朝、程昱が、彼に献言した。
「顔良を討つだらうと思へる人は、まづ関羽よりありません。こんな時こそ、関羽を陣へ召されてはどうです」——と。
それは、曹操も考へてゐないことではない。けれど関羽に功を立てさせたら、それを機会に、自分から去つてしまふであらう——といふ取越し苦労を抱いてゐた。
「日ごろ、恩をおかけ遊ばすのは、かゝる時の役に立てよう為ではありませんか。もし関羽が顔良を討つたら、いよ/\恩をかけて御寵用なさればいゝことです。もしまた顔良にも負けるくらゐだつたら、それこそ、思ひ限(き)りがいゝではありませんか」
「おゝ、いかにも」
曹操は、すぐ使(つかひ)を飛ばし関羽に直書を送つて、すぐ戦場へ馳せつけよ、と伝へた。
歓んだのは関羽である。
「時こそ来れり」
とすぐ物具(ものゝぐ)に身をかため内院へすゝみ、二夫人に仔細を語つて、しばしの別れを告げた。
しばしの暇(いとま)をと聞くだに、二夫人はもう涙をためて、
「身を大事にしてたもれ。また、戦場へ参つたら、皇叔のお行方にも、どうか心をかけて、何ぞの手懸りでも……」
と、はや錦袖(キンシウ)で面をつゝんだ。
「ゆめ、お案じあそばすな。関羽の密かに心かけるところも、実はそこにありまする。やがてきつと御対面をおさせ申しませうほどに。——どうぞお嘆きなく。……では、おさらば」
青龍の偃月刀を掻いよせて立つと、二夫人は外門の畔(ほとり)まで送つて出た。関羽は赤兎馬に打(うち)またがつて、一路、白馬の野(や)へ急いで行つた。
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次回 → 報恩一隻手(二)(2025年3月18日(火)18時配信)