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悠々、赤兎馬に跨つて家路へ帰つてゆく関羽を——曹操はあと見送つて、
「しまつた……」
と、唇(くち)を嚙みしめてゐた。
どんな憂ひも長く顔にとゞめてゐない彼も、その日は終日ふさいでゐた。
張遼は侍側の者から、その日の仔細を聞いて深く責任を感じた。
で、曹操にむかひ、
「ひとつ、私が、親友として関羽に会ひ彼の本心を打診してみませう」
と申し出た。
曹操の内諾を得て張遼は数日ののち関羽を訪ねた。
世間ばなしの末、彼はそろ/\探りを入れてみた。
「あなたを丞相に薦めたのはかくいふ張遼であるが、もう近頃は都にも落着かれたであらうな」
すると関羽は答へて、
「君の友情、丞相の芳恩、共にふかく心に銘じてはをるが、心はつねに劉皇叔の上にあつて、都にはない。こゝにゐる関羽は、空蟬(うつせみ)のやうなものでござる」
「はゝあ、……」と、張遼は、さういふ関羽を〔しげ〕/\眺めて、
「大丈夫たる者は、およそ事の些末(さまつ)に囚(とら)はれず、大乗的に身を処さねばなりますまい。いま丞相は朝廷の第一臣、敗亡の故主を恋々とお慕ひあるなど愚ではありませんか」
「丞相の高恩は、よく分つてゐるが、それはみな、物を賜ふかたちでしか現されてをらぬ。この関羽と、劉皇叔との誓ひは、物ではなく、心と心のちぎりでござつた」
「いや、それはあなたの曲解。曹丞相にも心情はある。いや士を愛するの心は、決して玄徳にも劣るものではない」
「しかし、劉皇叔と此方(このはう)とは、まだ一兵一槍もない貧窮のうちに結ばれ、百難を共にし、生死を誓つたあひだでござる。さりとて、丞相の恩義を無に思ふも武人の心操がゆるさぬ。何がな、一朝の事でもある場合は身相応の働きをいたして、日ごろの御恩にこたへ、然(しか)る後に、立ち去る考へでをりまする」
「では。……もし玄徳が、この世においでなき時は、どう召さる気か」
「——地の底までも、お慕ひ申してゆく所存でござる」
張遼はもうそれ以上、武人の鉄石心に対して、みだりな追及もできなかつた。
門を辞して帰るさも、張遼はひとり煩悶した。
「……丞相は主君、義において父に似る。関羽は心契の友、義において、兄弟のやうなものだ。……兄弟の情にひかれて父を欺(あざむ)くとせば、不忠不義。あゝどうしたものか」
しかし彼は、関羽の忠節を鑑(かゞみ)としても、自分の主君に偽りは云へなかつた。
「——行つて参りました。四方山(よもやま)ばなしの末、いろ/\探つてみましたが、あくまで留まる容子は見えません。丞相の高恩はふかく辨(わきま)へてゐますが、さりとて、心をひるがへし、二君に仕へんなどとは、思ひもよらぬ態(テイ)に見えます」
歯に衣(きぬ)着せず、張遼はありのままを復命した。曹操もさすがに曹操であつた。あへて怒る色もない。たゞ長嘆して云つた。
「君ニ事(つカ)ヘテソノ本(モト)ヲ忘レズ。関羽は寔(まこと)に天下の義士だ。いつか去らう!いつか回(かへ)り去るであらう!噫(あゝ)、ぜひもない」
「けれど又、関羽はかうも云つてをりました。何がな一朝の場合には、一働きして御恩を報じ、そのうへで立ち去らんと……」
張遼が云ふのを聞いて、かたはらから荀彧が、つぶやくやうに献言した。
「さもあらう/\。忠節の士はかならず又仁者である。だからこの上は、関羽に功を立てさせないに限ります。功を立てないうちは、関羽もやむなく、許都に留まつてをりませう」
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次回 → 白馬(はくば)の野(の)(一)(2025年3月14日(金)18時配信)