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関羽の髯は有名だつた。
長やかで美(うるは)しい顎髯といふので、この許都でも評判になつてゐた。
「おそらく都門随一の見事な髯だらう」
と、云はれてゐた。
いま曹操から、その髯のことを訊かれると、関羽は、胸を蔽(おほ)ふばかり垂れてゐるその漆黒を握つて悵然(チヤウゼン)と、嘯(うそぶ)くやうに答へた。
「立てば髯のさきが半身を超えませう。秋になると、万象と共に、数百根の古毛(コモウ)が自然に脱け落ち、冬になると草木と共に毛艶(けづや)が枯れるやうに覚えます。ですから極寒の時は、凍らさぬよう嚢(ふくろ)でつゝんでゐますが、客に会ふ時は、嚢を解いて出ます」
「それほど大切にしてをられるか。君が酔ふと髯もみな酒で洗つたやうに麗しく見える」
「いやお恥(はづか)しい。髯ばかり美しくても、五体は碌々(ロク/\)と徒食して、国家に奉じることもなく、故主兄弟の約にそむいて、むなしく敵国の酒に酔ふ。……こんな浅ましい身はあらうと思へませぬ」
なんの話が出ても、関羽はすぐ自身を責め、また玄徳を思慕してやまないのであつた。そのたび曹操はすぐ話をそらすに努めながら、心のうちで、関羽の忠義に感じたり、反対に、ほろ苦い男の嫉妬や不快を味わひなどして、頗(すこぶ)る複雑な心理に陥るのが常であつた。
つぎの日。
朝(テウ)に参内することがあつて、曹操は関羽を誘ひ、そのついでに、錦の髯嚢を彼に贈つた。
帝は、関羽が、錦のふくろを胸にかけてゐるので、怪しまれて、
「それは何か」
と、御下問された。
関羽は嚢を解いて、
「臣の髯があまりに長いので、丞相が嚢を賜うたのでござる」
と、答へた。
人なみすぐれた大丈夫の腹をも過る漆黒の長髯をながめられて、帝は、微笑しながら、
「なるほど、美髯公(ビゼンコウ)よ」
と、仰つしやつた。
それ以来、殿上から聞きつたへて、諸人もみな、関羽のことを、
「美髯公。々々々」
と、呼び慣はした。
朝門を辞して帰る折、曹操はまた、彼がみすぼらしい痩馬(やせうま)を用ひてゐるのを見て、
「なぜもつと良い飼糧をやつて、充分に馬を肥やさせないのか」
と、武人のたしなみを咎めた。
「いや、何せい此方のからだが、かくの如く、長大なので、たいがいな馬では痩せ衰へてしまふのです」
「なるほど、凡馬では、乗りつぶされてしまふわけか」
曹操は急に、侍臣をどこかへ走らせて、一頭の馬を、そこへ曳かせた。
見ると、全身の毛は、炎のやうに赤く、眼は、二つの鑾鈴(ランレイ)を嵌(は)めこんだやうだつた。
「——美髯公、君はこの馬に見おぼえはないかね」
「うウーム……これは」
関羽は眼を奪はれて、恍惚としてゐたが、やがて膝を打つて、
「さうだ。呂布が乗つてゐた赤兎馬(せきとば)ではありませんか」
「さうだ。せつかく分捕つた駿壮だが、〔くせ〕馬なので、誰も騎(の)りこなす者がない。——君の用ひ料には向かんかね?」
「えつ、これを下さるか」
関羽は再拝して、喜色をみなぎらした。彼がこんなに歓ぶのを見たのは曹操も初めてなので、
「十人の美人を贈つても、かつて欣(うれ)しそさうな顔ひとつしない君が、どうして、一匹の畜生を獲(え)て、そんなに歓喜するのかね」
と、たづねた。
すると関羽は、
「かういふ千里の駿足が手にあれば、一朝、故主玄徳のお行方が知れた場合、一日のあひだに飛んで行けますから、それを独り祝福してゐるのです」
と、言下に答へた。
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次回 → 破衣錦心(四)(2025年3月13日(木)18時配信)