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関羽は頭(かうべ)をたれたまゝ、やゝ久しく、考へこんでゐた。
張遼の言には、友を思ふ真情がこもつてゐた。また、道理がつくされてゐる。
理と情の両面から責められては、関羽も悶えずにゐられなかつたとみえる。
張遼は、ことばを重ねて、
「こゝで捨てるお命を、しばし長らへる気で、劉玄徳の消息をさぐり、ふたつには、玄徳から託された妻子の安全をまもり、義を完うなされたらどうですか。……もしそのお心ならば、不肖悪いやうには計らひませんが」
と、説いた。
関羽は、好意を謝して、
「かたじけない。もし御辺の注意がなければ、関羽はこの一丘の草むらに、匹夫の墓をのこしたで御座らう。……思へば浅慮(あさはか)な至りであつた。——然(しか)し、なにを申すも敗軍の孤将、ほかに善処する道も思案もなかつたが、いま御辺の申されたやうに、義に生きられるものならば、どんな苦衷や恥を忍ばうとも、それに越したことはないが」
「そのためには、一時、曹丞相へ降服の礼をとり給へ。そして堂堂、貴公からも条件を願ひ出られては如何(いかゞ)?」
「望みを申さうなら三つある。——そのむかし桃園の義会に、劉皇叔と盟をむすんだ初めから、漢の中興を第一義と約したこと故、たとひ剣甲を解いて、この山をくだるとしても、断じて曹操に降服はせん。漢朝に降服はいたすが——曹操には降らん!これが第一」
「して、あとの二つの条件は」
「劉皇叔の二夫人、御嫡子、そのほか奴婢(ヌヒ)どもにゐたるまで、かならずその生命と生活の安全を確約していただきたいことで御座る。しかも鄭重なる礼と俸禄とをもつて」
「その儀も、承(うけたま)はりおきます。次に、さいごの一条は」
「いまは劉皇叔の消息も知れぬが、一朝お行方の知れた時は、関羽は一日とて、曹操の許(もと)に晏如(アンジヨ)と留まつてをるものでは御座らん。千里万里もおろか、お暇(いとま)も告げず、直(たゞち)に、故主のもとへ立(たち)帰り申すであらう。……以上、三つの事、確(しか)とお約束くださるならば、おことばに任せて、山を降らう。——さもなければ、百世末代、愚鈍の名をのこすとも、斬(きり)死にして、今日を最期といたすのみでござる」
「心得ました。即刻、丞相にお旨をつたへて、ふたゝびこれへ参るとします。——暫時の御猶豫を」
張遼は、山を駆け下りて行つた。至情な友の後ろすがたに、関羽は瞼を熱くした。
馬にとびのると、張遼は一鞭あてゝ、下邳へ急いだ。——そしてすぐ曹操の面前にありのまゝな次第を虚飾なく復命した。
もちろん関羽の希望する三条件も、そのまゝ告げた。剛腹な曹操も、この条件の重大さに、おどろいた顔色であつたが、
「さすがは関羽、果(はた)して、予の眼鑑(めがね)にたがはぬ義人である。——漢に降るとも、曹操には降らぬといふのも気に入つた。——われも漢の丞相、漢すなはち我だ。——また二夫人の扶養などはいと易いこと。……たゞ、玄徳の消息が分り次第、いつでも立ち去るといふのは困るが」
と、その一ケ条には、初め難色があつたが、張遼がこゝぞと熱意をもつて、
「いや、関羽が、ふかく玄徳を慕ふのも、玄徳がよく関羽の心をつかんだので、もし丞相が、親しく彼をそばへ置いて、玄徳以上に、目をおかけになれば、——長いうちには必ず彼も遂に丞相の恩義に服するやうになりませう。士はおのれを知るものゝ為に死す——そこは丞相がいかに良将をお用ひになるかの腕次第ではございませぬか」
と、説いたので、曹操も遂に、三つの乞ひをゆるし、すぐ関羽を迎へて来いと、恋人を待つやうに、彼を待ちぬいたのであつた。
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次回 → 大歩(たいほ)す臣道(一)(2025年3月4日(火)18時配信)