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ふたりは旧知の仲である。
平常の交りはないが、戦場往来のあひだに、敵ながら何となくお互(たがひ)に敬慕してゐた。
士は士を知るといふものであらう。
「おう、張遼か」
「やあ、関羽どの」
ふたりは、胸と胸を接するばかり相寄つて、ひとみに万感をこめた。
「御辺はこれへ、何しに参られたか。——察するに曹操から、この関羽の首を携へて来いと命ぜられ、やむなくこれへ参られたか」
「いや、ちがふ。平常の情を思ひ、貴公の最期を惜(をし)むの餘り……」
「しからば、この関羽に、降伏をすすめに来られた次第か」
「さにもあらず。以前、それがしが貴公に救はれたこともある。なんで今日、君の悲運をよそにながめて居られようか」
張遼は石を指さして、
「まづ、それへかけ給へ。拙者も腰をおろさう」
と、ゆつたり構へ、
「……すでにお覚りであらうが、玄徳も張飛も、共に敗れ去つて行方もしれない。たゞ玄徳の妻子は、下邳城の奥にゐるが、そこも昨夜わが軍の手に陥ちてしまつたから、二夫人以下の生殺与奪は、まつたく曹丞相のお手にあるものといはねばならぬ」
「……無念だ。……この関羽をお見込あつて、御主君よりお預け給はつた御家族をむなしく敵の手に委(まか)すとは」
関羽は、首をたれて、長大息した。——自分の死は、眼前の朝露を見るごとくだつたが無力な女性方や、幼い主君の男子などを思ふと、さしもの英豪も、涙なきを得なかつた。
「——が、関羽どの。その事についてなら、いさゝか御安心あるがよい。曹丞相は、下邳の陥落と共に、御入城になつたが第一に玄徳の妻子を、べつな閣に移して、門外には番兵を立たせ、一歩でもみだりに入る者はたちどころに誅殺せよと迄(まで)——きびしく保護なされてをる」
「おう、さうか」
「実は、その儀をお伝へしたいと思つて、曹丞相のおゆるしの下(もと)にこれへ参つたわけでござる」
聞くと関羽は、屹(キツ)と眼光をあらためて、
「さてはやはり、恩を売りつけて、われに降参をすゝめんとする意中であらう。笑ふべし、笑ふべし。曹操もまた、英雄の心を知らぬとみえる。……たとひ今、この絶地に孤命を抱くとも、死は帰するにひとし、露ほども、生命(いのち)の惜しい心地はせぬ。——この関羽に降伏をすゝめに来るなど、御辺もちと何(ど)うかしてをる。はや/\山を降り給へ。後刻、快く戦はう」
苦々しげに云ひ反(そ)むく関羽の横顔をながめて張遼は、わざと大きくあざ笑つた。
「それを英雄の心事と、自負されるに至つては、貴公もちと小さいな。……あはゝゝゝ、貴公のいふ通りに終つたら、千載のもの笑ひだ」
「忠義をまつたうして討死いたすのが、なんで笑ひぐさになるか」
「されば、こゝで貴公が討死いたせば、三つの罪があとで、数へられよう。忠義も潔いも、その罪と相殺になる」
「こゝろみに訊かう。三つの罪とは何か」
「死後、玄徳がまだ生きてをられたら如何(いかん)?孤主にそむき、桃園のちかひを破ることに相なろう。——第二には、主君の妻子一族を託されながら、その先途(センド)をも見とゞけず、ひとり勇潔に逸(はや)ること、これ短慮不信なりと云はれても、ぜひあるまい。もう一条は、天子を思ひ奉り、天下の将来を憂へぬことである。一身の処決を急ぎ、生きて祖宗のあやうきを扶翼(フヨク)し奉らんとはせず、みだりに血気の勇を示さうとするは——けだし真の忠節とは申されまい。——貴公は、武勇のみでなく学識もある士とうけたまはつてをるが、この辺の儀は、何(ど)う解いてをられるか。関羽どの、あらためてそちらへ伺ひたいものだが」
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次回 → 恋の曹操(五)(2025年3月3日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。