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むづかしい注文である。諸将は顔を見あはせてゐた。
郭嘉は、曹操の前へすゝんで、そのむづかしさを正直に云つた。
「関羽の勇は、万夫不当と、天下にかくれもないものです。討ち殺すさへ、容易ではありません。然(しか)るにそれを手捕りにせよとの御命令では、どれほどの兵を犠牲にするやも計られず、また下手をすれば、却(かへつ)て彼に乗じられる惧(おそ)れがないとも限りませんが」
すると、張遼が、右列を出て、
「お案じあるな。拙者が関羽を説いてお味方へ降らせませう」
と、云つた。
程昱、郭嘉、荀彧などの諸将はみな、なかば疑つて、
「君はその自信があるのか」
と、口をそろへて反問した。
「ある!」
張遼は、怯(ひる)みなく答へた。
「諸氏は関羽の勇だけを慮(おもんぱ)かつてをられるやうだが、拙者のもつとも至難と考へるところは、彼が人いちばい、忠節と信義にあつい点である。しかし幸(さいはひ)にも、拙者と彼とは、——形の交(まじは)りはないが、つねに戦場の好敵手として、相見るたび、心契の誼(よしみ)似たものを感じ合つてゐる。おそらく彼も拙者のことを記憶してをるにちがひないと思ふ」
「よからう。張遼にひとつ、説かせようではないか」
曹操は、かれの乞ひを容れようとした。英雄、英雄を知る。張遼と関羽のあひだに心契があるといふことは、いかにもあり得べきことゝ同感をもつたからである。
だがなほ、程昱、郭嘉などは、うなづかなかつた。勧降の使(つかひ)として、説客を向けてみるもいゝがもし効がなければ、敵の決意をよけい強固にさせるだけで、速戦即決をとらんとする方針にはむしろ害を生じる可能性のはうが多いのではあるまいか—と。
「いや、その儀なら拙者に、いま陣中にある徐州の捕虜二百ほどをおあづけ下されば、違算なく、下邳の城を奪ひ、荀彧どのが先に申されたとほり、関羽を野外におびき出して、まづ彼の位置を孤立させてお目にかける」
張遼の自信は相当つよい。
玄徳を離れた徐州の捕虜を用ひて一体どうするのかと、その計を問ふと、
「わざと、捕虜を放して、下邳の城へ追ひこむのです。もとより味方と味方とが合流すること、関羽も当然、城へ入れるであらう。—つまり風の吹く日まで火ダネをそこへ埋(い)けこんでおくやうな計略であるが」
と、説明した。
曹操は手を打つて、
「それぞ、敵土埋兵の巧妙なる一手だ。まづ、張遼にやらせてみよう」
参謀部の方策は極(き)まる。
降参人二百ばかり、利を諭されて、陣地から潰乱して走りだした。もちろん夜が選ばれた。
夜明けから朝にかけて、彼等は下邳の城へまぎれこんだ。正真正銘の味方にちがひないので、関羽以下の部将もみな何の疑ひも抱かなかつた。
「徐州へは、曹操の直属軍がかゝつて来たので、一たまりもなく落城しましたが、曹操とその中軍は、勝ち誇つて、そこに止(とゞ)まつてゐます。われわれを追ひかけて来たのは夏侯惇、夏侯淵の一部隊にすぎません。それも長途の急行軍でつかれぬいてゐますから、城を出て、逆寄せをくはせれば、それを平野に捕捉して、殲滅を与へ得ることは、間違ひなしと、保證して云へます」
そんな声が、城内に撒きちらされた。関羽は、雑兵たちのことばなので、すぐは受けとらなかつたが、次々の物見の報(し)らせにも、
「敵は存外、少数です」
「下邳へ向つてきた兵力は、敵全軍の五分の一にも過ぎません」
と、あるので、遂に城門をひらかせて、英姿颯爽と、一軍をひきゐて、蒼空(あをぞら)青野(あをの)の戦場へ出て行つた。
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次回 → 恋の曹操(三)(2025年2月28日(金)18時配信)