ターミナルページはこちら(外部サービス「note」にリンク)
前回はこちら → 玄徳冀州へ奔る(一)
***************************************
「家兄(このかみ)。——お支度は」
「とゝのうた。張飛、兵馬の用意はいゝか」
「もとより抜かりはありません。孫乾(ソンケン)も行きたがつてゐますが、彼には守りを頼みました。さう皆、城を空にして出かけてもいけませんから」
「生憎(あいにく)と、夜襲には不向(ふむき)な月夜だな……。敵に悟られるおそれはないか」
「闇夜をえらぶのが、夜襲の定法(ヂヤウハフ)になつてゐます。ですから今宵のやうな月明りに、敵は一しほ安心してゐませう」
「それも一理だ」
「殊(こと)に敵は、けふ着いたばかりですから、人馬みな〔くた〕/\になつて眠りこんでゐませう。いざ、出かけませう」
初めの計画では、張飛一手で奇襲するはずだつた。が、いかに奇策を行ふにせよ、眼にあまる大軍なので、玄徳も自身出向くことになり、兵を二手にわけて城を出た。
張飛は、自分の計(はかり)ごとが、用ひられ、自分の思ふまゝ戦へるので、愉快でならない。ひそかに必勝を信じ切つてゐる。折から月明煌々の下、枚(バイ)をふくんで敵陣に近づいた。
「どうだ?」
物見を放つて窺はせると、
「哨兵(セウヘイ)まで眠りこけてゐます」
との答へ。
「さうだらう、おれの神算は図に中(あた)つた!」
気負ひぬいてゐた彼。
それつと、合図の諸声(もろごゑ)あげながら、一団になつて、ましぐらに敵中へ駈け入つた。
そこぞ敵の中軍、曹操の陣や何処(いづこ)にある?——と見まはしたが、四林のうちは、たゞひろい空沢(クウタク)で零々落々、草もねむり、木も眠り沈み、どこかに〔せゝらぐ〕水音の聞えるばかりで、敵の一兵だに見当らない。
「はてな?こいつは、いぶかしい?」
張飛も部下も、拍子ぬけしてうろたへた。すると林の木々や、四沢(シタク)の山がいちどにどつと笑ひ出した。
「や、や?……。さては、敵は地を変へてゐるぞ」
すでに遅し!木も草もみな敵兵と化し鯨声(ときのこゑ)は地をゆるがして、むら/\と十方を蔽(おほ)ひつゝんで叫んだ。
「張飛を生け捕れ」
「玄徳をのがすなツ」——と。
かくて、仕(し)掛(かけ)た奇襲は、反対に受身の不意(フイ)討(うち)と化した。隊伍は紛裂(ふんれつ)し、士気はとゝのはず、思ひ思ひの敵と駈けあはすうち、敵の東のほうからは張遼の一陣、西のはうからは許褚、南からは于禁、北からは李典。また東南(たつみ)よりは徐晃の騎馬隊、西南よりは楽進の弩弓(ドキウ)隊、東北よりは夏侯惇(カコウトン)の舞刀(ブタウ)隊、西北(いぬゐ)よりは夏侯淵の飛槍(ヒソウ)隊など、八面(ハチメン)鉄桶(テツタウ)の象(かたち)をなしてその勢無慮十数万——その何十分の一にも足らない張飛、玄徳の小勢をまつたく包囲して、
「一匹も餘すな」
と、ばかり押(おし)つめて来た。
さしもの張飛も鐙(あぶみ)に無念を踏んで、
「南無三」
右に突き、左をはらひ、一生の勇をこゝにふるつたが到底無理な戦ひだつた。
味方は討たれ、或(あるひ)は敵へ降参をさけんで、武器を捨て、彼自身も数ケ所の手傷に、満身朱にまみれてしまつた。
徐晃に追はれ、楽進に斬つてかかられ、炎のやうな息をついて漸く一方に血路をひらき、つゞく味方をかへりみると、何たる情(なさけ)なさ、わづかに二十騎ほどもゐなかつた。
「者共!もう止せ、馬鹿げた戦だ死んでたまるか、こんな所で——さあ、おれについて来い」
遂に、帰路をも遮断されてしまひ、むなしく彼は[山芒]蕩山(バウトウザン)方面へ落ちのびて行つた。
玄徳もまた、云ふまでもない運命に陥ちてゐた。
大軍にうしろを巻かれ、夏侯惇、夏侯淵に挟撃され、支離滅裂に討ち減らされて、わづか三、四十騎と共に、小沛の城へさして逃げて来ると、もう河をへだてた彼方に、火の手がまツ赤に空を焦がしてゐた。——根城のそこも、すでに曹操に占領されてゐたのである。
***************************************
次回 → 玄徳冀州へ奔る(三)(2025年2月25日(火)18時配信)