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凄愴の気はあたりをつゝむ。
その凄気を圧して、
「次に、慶童を曳(ひ)き出せつ」
と、曹操の叱咤はいよいよ烈しい。一片の情、一滴の涙も知らぬやうな面(おもて)は、閻王(エンワウ)を偲ばしめるものがあつた。
呼び出した慶童を突きあはせて、董承の吟味にかゝる段となると、彼の姿は、火か人か、猛言辛辣、彼の部下すら、正視してゐられないほどだつた。
董承も初めのうちは、
「知らぬ、存ぜぬ。いつこう覚えもない事ぢや。何とてわしを、左様に嫌疑したまふか」
と、飽(あく)まで彼の厳問を拒否してゐたが、何しろ召使の慶童が、傍からいろ/\な事実をあげて、曹操の調べにうごかぬ證拠を提供するので、遽(にはか)に、云ひぬけることばを失つて、〔がば〕と床に俯(う)つ伏してしまつた。
「恐れ入つたかつ」
勝ちほこるが如く曹操が雷声を浴びせると、とたんに董承は身を走らせて、
「こゝな人非人めが」
と、慶童の襟がみをつかんで引(ひき)仆(たふ)し、手づから成敗しようとした。
「国舅に縄を与へい!」
曹操の部下は、その峻命にこたえて、一斉にをどりかゝり、忽ち、董承に縛をかけて、欄階にくくりつけてしまつた。
そして客堂をはじめ、書院、主人の居室、家族の後房、祖堂、宝庫、傭人たちの住む邸内の各舎まで、千餘の兵で悉(こと/゛\)く家探しをさせ、遂(つひ)に、血詔の御衣玉帯と共に、一味の名を書(かき)つらねた血判の義状をも発見して、ひとまづ相府へひきあげた。
もちろん董一家の男女は一名もあまさず捕はれ、府内の獄に押しこめられたので、哀号悲泣(アイガウヒキウ)の声は憐れといふもおろかであつた。
時に、荀彧は、府門を通つて、思はず耳を掩(おほ)ひ進んで曹操の座側へのぼると、さつそく彼に向つて質(たゞ)した。
「遂に、激発なされましたな。これからの処置を何(ど)うなさるおつもりですか」
「荀彧か。いくら予が堪忍づよくても、これに対して平気ではをられん」
と、帝の血詔と、義盟の連判とを、荀彧の眼のまへに示し、なほ冷めやらぬ朱の眦(まなじり)を吊つて云つた。
「——見よこれを。献帝の今日あるは、ひとへにこの曹操が功ではないか。平安燼滅(ヘイアンジンメツ)のあと、新都の建業、王威の恢復など、どれほど粉骨砕身してきたか知れん。しかるに、いまとなつてこの曹操をのぞかんとするは何事であるか、暴に対しては暴をもつて酬(むく)ふが予の性格である、逆子乱臣と呼ばゝ呼べ、予は決意した。いまの天子をのぞいて、他の徳のある天子を立てようと」
「お待ちなさい」
荀彧はあわてゝ、彼の激語をさへぎりながら、
「いかにも、許都の中興は、一にあなたの勲(いさほし)にちがひありません。——けれどその勲功も帰するところ、天子を奉戴したからこそ出来たことでせう。もしあなたの旗のうへに、朝威がなかつたら。あなたの今日もありませんでした」
「うゝむ。それには違ひないが……」
「それを今、あなた自身が、朝廷の破壊者となつたら、その日からあなたの府軍には、もう大義の名はありませんぞ。同時に、天下があなたを視る眼は一変します」
「分つた。もう云ふな」
曹操は、自分の胸の火を、自分で消しまはるに苦しんでゐるふうだつた。
人いちばい明晰な理念と、人いちばい烈しい感情とが、こゝ数日、いかに彼を懊悩させたかは、他人の想像も及ばなかつた。しかも彼の充血した眼(まなこ)は容易に冷静に返り得ないのである。その結果として、董承の一家一門、そのほか王子服、呉子蘭などの一党とその家族等、あわせて七百餘人は、都のちまたを引(ひき)廻(まは)されて、一日のうちにみな斬(きり)殺されてしまつた。
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次回 → 火か人か(三)(2025年2月19日(水)18時配信)