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やがて後から曹操が大股に歩いて入つて来た。
胸におぼえのある事なので、王子服等の四人は、かれの眼を、正視できなかつた。
「君たちは、この曹操を殺したがつてをるさうだな。董承の邸(やしき)にあつまつて、だいぶ相談したさうぢやないか」
激語になると、曹操は、白面の一書生だつた頃の地金が出てくる。また彼はその洛陽時代には、宮門の警吏をしてゐたので、罪人に対する手ごゝろは巧みで殊(こと)のほか峻烈だつた。
「い、いゝえ。……丞相。……何かおまちがひではありませんか」
王子服が、空とぼけて、顔を振りかけると、その頰を、〔いや〕といふほど平手で撲(なぐ)つて、
「ひとを愚にするな。そんな小役人へするやうな答へに甘んじる曹操ではない」
「お怒りをしづめて下さい。董承の家に集まつたのは、まつたく平常の交(まじは)りにすぎません」
「平常の交りに、血書の衣帯などを拝み合ふのか」
「えつ。……な、なに事を仰せられるのか、とんと思ひあたりがございませんが」
「ふ、ふん……」
曹操は、鼻さきで白々と笑ひながら、閣の入口をふり向いてどなつた。
「兵士!慶童をそれに連れて来てをるか」
「ひきつれて来ました」
「よしつ。こゝへ突きだせ」
「はつ」
番兵が手をあげると、階下にどよめいてゐる兵たちが、美少年慶童をひつ張つて来て、四人のまへに突き仆した。
曹操は指さして、
「この者を存じてをるか」
と、云つた。
王子服も呉子蘭も、あつと色を失つた。种輯(チウシフ)は、愕きのあまり跳びあがつて、
「慶童!慶童ではないか貴様は。いつたい何だつてこんな所へ出て来たのだ」
慶童はそれに対して、小(こ)賢(ざか)しい唇を喋々(テフ/\)とうごかした。
「何しに来てゐたつて、大きなお世話でせう。それよりもお前さんたちは、もう観念したらどうです。不可(いけ)ませんよ。そんな〔そら〕ツとぼけた顔して居たつて」
「こ、この小輩め!何を申すか、身に覚えもないことを」
「覚えがなければ、もう、落着いてゐたらどうです。お前さんたち四人に、馬騰、玄徳も加はつて、一味六人が、義状に連判したるはあれは何日(いつ)でしたツけね」
「うぬつ」
种輯が跳びかゝらうとすると、曹操は横あひから、その脛を跳ねとばして、
「不逞漢めつ。予の面前で、予の生き証人を何とする気か。——汝らこと/゛\く前非を悔い、こゝに於て有(あり)〔てい〕にすべてを自白すればよし、さもなくば、難儀は一門三族にまで及ぶがどうだ!」
「…………」
「泥を吐け。——素直に一切を、ここに述べて、予のあはれみを乞へ」
すると、四名ひとしく毅然と胸をならべて答へた。
「知らん!」
「存ぜぬ!」
「覚えはない!」
「いかやうにもなし給へ!」
曹操はずいと身を退(ひ)いて、四つの顔を一様に見すゑてゐたが、
「よしつ、もう問はん」
ひらりと、閣外へ身をうつし、兵のあひだを割つて、彼方へ立ち去つてしまつた。
もちろん閣の口はすぐ厳重に閉ざされ、鉄槍の墻(かき)をもつてぐるりと昼夜かこまれてゐた。
次の日。
曹操は、千餘の騎兵をしたがへ、車馬の行装もの/\しく公然と、国舅董承の邸(いへ)を訪問した。
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次回 → 火か人か(一)(2025年2月17日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。