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「もつともな言である」と、一応は聞いてゐるようだつたが、頷(うなづ)きのなかに笑ひをたゝへて、曹操はやがて荀彧に喩(さと)した。
「予には、作戦以外に、虚実はない。だから何を探つて帰らうと、予の実力の正価を知つて戻るのみで、却(かへ)つて歓迎すべき諜客(テフカク)といへようではないか。——それにいま荊州へは禰衡を派遣してある。予が期待してゐるのは、その禰衡を劉表の手で殺してくれることである。何をそれ以上いま懸引(かけひき)をする必要があらうか」
彼の高論に、荀彧も服し、諸人もなるほどと感心した。
一方の韓嵩は、荊州へ立(たち)帰ると、すぐ劉表にまみえて、許都の上下にみちてゐる勃興気運のさかんなことを極力告げて、
「臣、愚考いたしますに、あなたの御子のうち、お一方様を、朝廷の仕官にさし出して、都へ人質として留めおかれたら、曹操も疑ふことなく、従つて将来、御家運のほどもいよ/\長久と存じられますが」
と、述べた。
気に入らないとみえて、劉表は彼の話なかばから横を向いてゐたが、突然、
「二心をいだく双股(ふたまた)膏薬(ゴウヤク)め。——韓嵩を縛して斬り捨てい!」と、あたりの武士へ命じた。
武士たちは剣に手をかけながらさつと韓嵩のうしろに立つた。韓嵩は手を振つて叩頭(コウトウ)百遍しながら、
「——ですから臣がお使をうける前に、再三申しあげたではございませんか。わたくしは私の信じることを申しあげるのが、最善の臣道と心得、またお家の為と思つておすゝめしたに過ぎません。お用ひあるとないとは、あなたのお考へ次第のことです」と、陳辯これ努めた。
侍臣の蒯良も、劉表のかたはらにあつて共々、彼の言訳(いひわけ)をたすけて、
「韓嵩の云つてゐることは、少しも詭辯ではありません。彼は都へ立つ前にも、口を酸くして、今のとほりなことを申(まうし)述べてゐました。ですから、都へ行つた為、にはかに豹変したものとも、二心あるものとも云へませぬ。——それに、彼はすでに、朝廷から恩爵をうけて帰りましたから、いま直ぐに御成敗ある時は、朝廷に対しても、おそれある事、平にこゝは御寛大にさしおかれますやうに」
と、懇願した。
劉表は、まだ甚だ釈然としない気色であつたが、蒯良の事理明白なことばに、否(いな)むよしもなく、
「目通りはかなはん。死罪だけは許しておくが、獄に下げて、かたく繫いでおけい」
と、命じた。
韓嵩は、武士たちの手に、引つ立てられながら、
「都へ行けばかうなる、荊州へ帰ればかくの如くなると、分りきつてをりながら、遂に、自分の思つてゐた通りに自分を持つてきてしまつた。不信の末はかならず非業に終るし、信ならんとすれば、またかうなる。世に選ぶ道といふものは難しい!……」
と、大きく嗟嘆をもらして行つた。
彼の姿が消えると、すぐ入れちがひに、江夏から人が来て、
「賓客の禰衡が、たうとう黄祖のために殺されました」
といふ耳新しい事実を伝へて来た。
「なに、奇舌学人が……黄祖の手にかゝつて?」
豫期してゐたことではあるが、さう聞くと、みな愕(ガク)とした色を顔にたゝへた。劉表は、さつそく江夏から来た者を面前に呼出して、
「どういふ経緯(いきさつ)で殺したのか、またあの奇儒が、どんな死(しに)方をしたか?」
と、半ば、曹操に対するおそれと、半ば、好奇心をもつて自身訊ねた。
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次回 → 鸚鵡洲(三)(2025年2月4日(火)18時配信)