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実に、とんでもない漢(をとこ)を、推薦してしまつたといふ他はない。人の推挙などゝいふものは、〔うつかり〕できないものである——と、ひとり恐れ悔いて、当惑の色ありありと見えたのは、禰衡を推挙した孔融であつた。
その日、そのせいか、孔融はいつ退出したか、誰も知らなかつた。
あとに残つた人々の憤々たる声や怒るつぶやきはやかましいほどだつた。
張遼のごときは、わけても憤りが納まらないで、曹操に向つて、
「なぜあんな乞食儒者に、勝手な熱をふかせて、丞相たるあなたが斬捨てゝおしまひにならなかつたのですか」
と、烈(はげ)しく詰問(なじ)つた。
曹操は、それに答へて、
「いや、予も腹にすゑかねて、身が震へるほどだつたから、よほど斬捨てゝくれようかと思つたが、彼の畸行は、世間に評判のやうだし、彼の奇舌は、世上に虚名を博してをる。いはゞ一種の反動者として、民間へは妙な人気のありさうな漢(をとこ)だ。——さういふ人気者へ、丞相たる予が、まじめに怒つてそれを手討(てうち)にしたなどゝ聞えると民衆はかへつて、予の狭量をあざけり、予に期待するものは失望を抱くであらう……愚である/\。それよりも彼が誇る才能には不得手な鼓(つゞみ)を打たせて、殿上で嘲(わら)つてやつたはうが、面白からうではないか」
と、云つた。
時に、建安の四年八月朔日、朝賀の酒宴は、禁裡(キンリ)の省台にひらかれた。曹操ももちろん、参内し、雲上の諸卿、朝門の百官、さては相府の諸大将など、綺羅星のごとく賓客の座につらなつてゐた。
拝賀、礼杯の儀式もすゝみ、宴楽の興、やうやく酣(たけなは)となつた頃、楽寮の伶人や、鼓手など、一列となつて堂の中央にすゝみ、舞楽を演じた。
かねて、約束のあつた禰衡も、その中に交(まじ)つてゐた。彼は、鼓を打つ役にあたつて、「漁陽(ギヨヤウ)の三撾(サンタ)」を奏してゐたが、その音節の妙といひ、撥律の変化といい、まつたく名人の神響でも聞くやうであつたので、人々みな恍惚と聞きほれてゐた。
——が、舞曲の終りと共に、われに返つた諸大将は、とたんに声をそろへて、禰衡の無礼を叱つた。
「やあ、それにをる穢(むさ)き者。朝堂の御賀には、楽寮の役人はいふまでもなく、舞人鼓手もみな、浄(きよ)らかな衣服を着るのに、汝、何故(なにゆゑ)に汚れたる衣をまとひ、あたりに虱(しらみ)をふりこぼすぞつ」
さだめし顔をあからめて恥ぢるかと思ひの外、禰衡はしづかに帯を解きはじめて、
「そんなに見ぐるしいか」
と、ぶつ/\云ひながら、一枚脱ぎ、二枚脱ぎ、遂に、真ツ裸になつて赤い犢鼻褌(ふんどし)一つになつてしまつた。
場所が場所なので、満堂の人は呆気(あつけ)にとられ、あれよ/\よと興ざめ顔に見てゐたが、禰衡はすましたもので、赤裸のまゝ、ふたゝび鼓を取つて三通まで打(うち)囃(はや)した。
荒胆(あらぎも)では、人におくれをとらない諸武将すら、度胆をぬかれた顔してゐるので、堪(たま)りかねて曹操が雷喝した。
「畏れ多くも、朝賀の殿上において赤裸をあらはすは何者だつ!無礼ものめツ!」
禰衡は、鼓を下においてぬつくと立ち、正しく曹操の席のはうへ臍(へそ)を向けて、彼にも負けない声で云つた。
「天をあざむき、上をいつはる無礼と、父母から享(う)けたこのからだを、ありのまゝ露呈して御覧に入れる無礼と、どつちが無礼か、思ひくらべてみよ。——わしは、この通り正しく裏も表もない人間であることを見せて憚(はゞか)らん。丞相、口惜しければ、閣下も、冠衣を抜ぎ去つて、わしのやうに、表裏一枚の皮しかないところを見せたまへ」
「だつ、だまれ」
曹操も、遂に怒つてしまつたか。——雲上(ウンジヤウ)殿裡(デンリ)、二つの雷鳴が嚙みあつてゐるやうな声と声の震動だつた。
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次回 → 雷鼓(らいこ)(二)(2025年1月29日(水)18時配信)