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同じ密命をもつた一国の使臣と使臣が、その目標国の城内で、しかも同じ時にぶつつかつたのである。
曹操の使臣たる劉曄は、すくなからず心をいためた。——河北の袁紹から来た特使とあつては、いかに自国を贔屓目に見ても、〔ひけめ〕を抱かずにはゐられなかつたからである。
「ご心配には及ばん。あなたは、拙者の私邸に移つて、成行を見てをられるがいゝ」
彼が唯一の力と恃(たの)む賈詡がさう云つてくれたので、劉曄はいさゝか希望をもち、賈詡の私邸に泊つてゐた。
賈詡は、袁紹の使を、城中に迎へて、対面した。そして、問うて曰く、
「さきごろ、貴国では、兵を催して、曹操を攻められた由ですが、まだ寡聞にして、その結果を聞いてをりません。勝敗はどうついたのですか」
特使は、答へて云ふ。
「何ぶん冬期にかゝりましたので、しばらく戦(たたかひ)を休め決戦は来春のことゝして、待機しておるわけであります。——折から我が大君袁紹におかれては、常に荊州の劉表と襄城の張繡とは、共に真の国士なり、と仰せられてゐましたが、切に両雄を傘下にお迎へありたい意志があります。依つて不肖それがしを使(つかひ)として、今日、さし向けられた次第。よろしく臺下にお取次あらんことを」
再拝して、切口上を述べたてるのを、賈詡はあざ笑つて、
「何かと思へば、そんなことであつたか。特使には御苦労だつたが、はや/\国へ立(たち)帰つて、袁紹に慥(しか)と告げよ。——自分の骨肉たる袁術に対してさへ、常に疑ひをさし挟んで容れ得なかつたではないか。そんな狭量をもつて、いづくんぞ天下の国士を招いて用ひることができようか——と」
書簡を破りすてゝ、追ひ返してしまつたので、それを後で聞いた彼の主人張繡は色を失つて、
「なんで、儂にも取次がずに、そんな無礼を振舞つたか」
と、賈詡をなぢつた。
賈詡は、恬然として、
「同じ下風につくなら、曹操に降つた方が〔まし〕だからです」
と、云つた。
張繡は、顔を横に振つて、
「否とよ。其方はもう往年の戦を忘れたのか。儂(み)と曹操とは、宿怨のあひだがら、以来、何も溶けてはゐない。——いまもし、彼の誘交にまかせて、彼の下風に降れば、後にかならず害されるにきまつてをる」
「いや/\、それは餘りにも、英傑の心事を知らないものです。曹操の大志、なんで過去の敗戦などを、いつまで怨みとしてゐませう——また、袁紹と比較してみると、曹操には、三つの将来が約されてゐます。一は、天子を擁し、二は時代の気運にそひ、三は、大志あつてよく治策を知ることです」
「しかし、袁紹は富強だが、曹操は、それに較べると、まだ甚だ弱小だが」
「わたくしは、現世を問ふのではありません。将来を云つてゐるのであります。まづ一、二年ぐらゐな安泰をお望みなら、袁紹の方へおつきなさい」
賈詡にさう突つ放されると、張繡の自信も、心細いものだつた。賈詡は次の日、劉曄を伴つて来て、張繡に会はせた。——劉曄も口を極めて、
「曹操は、決して、過去の讐などを、くよ/\心にとめてゐる人ではありません。そんな事に〔こだは〕つてゐるほどなら、何で今日、礼を厚うして、わたくしなどを差(さし)遣(つか)はしませうや」
と、説いた。
遂に、張繡の心もうごいて、曹操の誘ひにまかせ、襄城を発して、降をその門に誓つた。
曹操は、自身出迎へて、張繡の手を取らんばかり、堂に迎へた。そして、彼を揚武(ヤウブ)将軍に任じ、またこの斡旋に功労のあつた賈詡を執金吾とした。
襄城の誘降は、外交だけで、かくの如き大成功を見たが、一方、荊州のはうは、完全に失敗してゐた。
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次回 → 奇舌学人(三)(2025年1月25日(土)18時配信)