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諸所へ火を放ち、矢束を射込み、鼓を鳴らし、鬨(とき)の声をあげなどして、張飛の夜襲はまことに張飛らしく、派手に押しよせて来た。
劉岱は、それを見て、
「彼奴(きやつ)、勇なりと雖(いへど)も、もとより智謀はない男何ほどのことやあらん」
と一跳の意気で、防戦にあたつた。
劉岱の指揮の下に、全塁の将卒がこぞつて駈(かけ)向つたので、忽ち、夜襲の敵は撃退され、いかに張飛が、
「退くなつ」
と、声をからしても、総くづれのやむなきに立到り、張飛も柴煙(サイエン)濛々(モウ/\)たるなかを、逃げる味方と火に捲かれて、逃げまどつてゐた。
「こよひこそ、張飛の首はわが手のもの。寄手の奴ばらは一人も生かして返すな」
劉岱は、最後の号令を発し、遂に、防寨の城戸(きど)をひらいて、どつと追(おひ)かけた。
張飛はそれと見て、
「しめた。思ふ〔つぼ〕に来たぞ」
遽(にはか)に、馬を向け直し、まづ劉岱を手捕(てどり)にせんと喚きかゝつた。
それまで、逃げ足立つてゐた敵が、案に相違して、張飛と共に、俄然攻勢に転じて来たので、要心深い劉岱は
「これは怪訝(いぶか)しい」
とあわてゝ、味方の陣門へ引つ返さうとしたころ、時すでに遅かつた。
その夜、正面に来た寄手は、張飛の兵の三分の一にすぎず、三分の二の主隊は、防寨のうしろや側面の山にまはつてゐたものなので、それが機をみるや一斉になだれ込んで来た為、すでに彼の防塁は、彼のものでなくなつてゐた。
「計られたか」
と、うろたへてゐる劉岱を見つけて、張飛は馬を駈(かけ)寄せてゆくなり引つ摑んで大地へ抛り出し、
「さあ、持つて帰れ」
と、士卒にいひつけた。
すると、防寨の中から、
「その縄尻は、私たちに持たせて下さい」
と走り出て来た二名の兵卒がある。それは張飛の命に依つて〔わざ〕と張飛の陣を脱走し、劉岱へこよひの夜襲を密告して、彼等の善処を遑(いとま)なくさせた殊勲の二人だつた。
「ゆるす。引つ立てろ」
張飛は、その二人に、縄尻を持たせて、意気揚々ひきあげた。
残餘の敵兵も、あらかた降参したので、防寨は焼(やき)払ひ、劉岱以外、多くの捕虜を徐州へ引(ひき)つれて帰つた。
この戦況を聞いて、玄徳のよろこびかたは限りもない程だつた。わが事のやうに、彼の巧者な手際を褒めて、
「張飛といふ男は、性来、もの躁(さは)がしいばかりであつたが、こんどは智謀を用ひて、戦の功果をあげた。これでこそ、彼も一方の将たる器量をそなへて来たものといへよう」
さう云つて自身、彼を城外に出迎へた。張飛は大音をあげて、
「家兄(このかみ)、家兄。いつもあなたは、この張飛を、耳の中の虻(あぶ)か、懐中の蟹のごとく、もの躁(さは)がしき男よと口癖に仰つしやるが、今日は如何(いかん)?」
と、得意満面で云つた。
玄徳が打(うち)笑つて、
「けふの御身は、まことに稀代の大将に見える」
と云ふと、そばから関羽が、
「しかしそれも先に、家兄(このかみ)がふかく貴様をたしなめなかつたら、こんなきれいな勝(かち)ぶりはしまい。この劉岱の首などは、とうに引き千断(ちぎ)ツて携へて来たであらう」
と、交ぜかへした。
「いや、さうかも知れんて」
張飛が、爆笑すると、玄徳も笑つた。関羽も哄笑した。
三人三笑の下に、縄目のまゝ、引(ひき)すゑられてゐた劉岱は、ひとり可笑(おか)しくもない顔をしてゐた。
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次回 → 不戦不和(四)(2025年1月22日(水)18時配信)