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王忠は、唾(つば)して云ひ返した。
「かりにも、曹丞相ほどなお方が、汝ごとき下賤の蛮夫と、何で戦ひを交へようか。もう一度生れ直してこい」
「吐(ほ)ざいたな。王忠」
関羽が馬を駆(かけ)寄せると、王忠も槍をひねつて、突つかけてくる。関羽はよい程にあしらつて、わざと逃げだした。
「口ほどにもない奴」
と、浅慮にも、王忠は図にのつて関羽を追つかけた。
「口ほども無いか、有るか、鞍の半座を分けてつかはす。さあ王忠、こつちへ来い」
関羽は、青龍刀を左の手に持ち変へた。王忠は、あわてゝ馬の首をうしろへ向けた。が、早くも関羽の臂(ひじ)は彼の鎧の上小帯をつかみ、
「〔じたばた〕するな」
と、ばかり軽々(かる/゛\)小脇に引つ抱へて馳け出した。
潰乱する王忠軍を蹴ちらして、馬百匹、武器二十駄を分捕つて、関羽の手勢はあざやかに引揚げた。
帰城すると、早速、関羽は王忠をしばりあげて、玄徳の前に献じた。
玄徳は王忠に向つて、
「汝、何者なれば、詐(いつは)つて、曹丞相の名を偽称したか」
と、詰問した。
王忠は答へて、
「詐りは、われらの私心ではない。丞相がわれらに命じて、御旗をさづけ、擬兵の計事(はかりごと)をさせられたのである」
と、有りの儘(まゝ)に云つた。
そして、猶(なほ)、
「不日、袁紹を破つて、丞相がこれに来給へば、徐州ごときは、一日に踏みつぶして了(しま)はれるであらう」
と豪語を放つた。
玄徳はどう考へたか、王忠の縄を解いて、
「君の言は、寔(まこと)に、神妙である。事の成行きから、丞相のお怒りをうけ、征を受けて、やむなくこの徐州を守るものゝ玄徳には曹操に敵対する意志はない。君もしばらく、当城にあつて、四囲の変化を待ち給へ」
と、彼を美室に入れて、衣服や酒を与へた。
王忠を奥に軟禁してしまふと、玄徳はまた近臣を一閣に集めて、
「誰ぞ、この次に、もうひとりの劉岱を、敵の陣から生捕つて来る智者はないか」
と、云つた。
関羽は、雑談的に、
「やはり家兄のお心はそこにありましたか。実は、王忠と出会つた時、よほど一戟の下に斬つて捨てんかと思つたなれど、いや/\或(あるひ)は兄(このかみ)の御本心は、曹操と和せず戦はず——不戦不和——といつたやうな微妙な方針を抱いてをられるのではないかと〔ふと〕考へつき、わざと手捕(てどり)にして持帰りましたが」
と語つて、自分の推測が中(あた)つてゐたか否かを、率直にたづねた。
すると、玄徳は、会心の笑をもらして、
「さなり、さなり!不戦不和とは、よくわが意中の計を観た。さきに張飛がすゝんで行かうと云つたのを止(とゞ)めたのも、張飛の𤢖(さは)がしい性質では、必ず王忠を殺して来るにちがひないと惧(おそ)れたからである。王忠、劉岱のごとき輩を殺したところで、われには何の益もなく、かへつて曹操の怒りを煽るのみであるし、もし、生かしておけば、曹操がわれに対する感情もいくらか緩和されてくるであらう」
さう聞くと、張飛はまた、前へ進み出て、玄徳に云つた。
「わかりました。さう御意中を承はれば、こんどは、此(この)方(ハウ)が出向いて、必ず劉岱を〔ひきずり〕参らん。どうか此方をおつかはし下さい」
「参るもよいが、王忠と劉岱とは、対手(あひて)がちがふぞ」
「どう違ひますか」
「劉岱は、むかし兗州の刺史であつた頃、虎牢関の戦ひで、董卓と戦ひ、董卓をさへ悩ましたほどの者である。決してかろんずる敵ではない。それさへ辨(わきま)へてをるならば行くがよい」
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次回 → 不戦不和(一)(2025年1月18日(土)18時配信)