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張飛がすゝんで、城外の敵に当らんと望んで出ると、玄徳は、むしろ歓ばない色を顔に示して、
「いつもながら躁(さは)がしき男ではある。待て、待て」
と押(おし)止(とゞ)め、行けとも、行つてはならんとも云はなかつた。
「それがしの武勇では、危いと仰せられるので御座るか」
張飛が不平を洩らすと、
「いや、汝の性質は、至つて軽忽で、躁(さは)がしくばかりあつて、その為(た)め事を仕損じ易いから、わしはその点を危惧してゐるのだ」
と、玄徳は飾らず云つた。
張飛は、なほ面(つら)膨(ふく)らせて、
「もし、曹操に出会つたら、木(こ)ツ葉(ぱ)みじんに敗れて帰るだらうと、それを心配なさるので御座らう。笑止々々。曹操が出て来たら、むしろ勿怪(モツケ)の幸、引つ摑んで、これへ持(もち)来るまでのこと」
「だまれ、それだからそちは躁(さは)がしい男といふのだ。曹操は、その心底には、漢室にとつて、怖るべき逆意を抱いてゐるが、名分の上では、常に勅令を号することを忘れて居らぬ。——故に、今われ彼に敵対すれば、曹操は得たりとして、われを朝敵と呼ぶであらう」
「この期になつても、まだそんな名分にくよくよして居られるのですか。では、彼が攻(せめ)襲(よ)せて来ても手を拱(こまね)いて、自滅を待つてゐるおつもりですか」
「袁紹の救ひがくれば、何とかこの危機も打開できようが、それもあてにはならないし、曹操からも敵視されては、早(はや)、死するも門なからん……である。まつたく玄徳の浮沈は今に迫つてをる」
「はてさて、弱気なおことば、将たる者が御自身味方の気を減(へら)したまふ事やある」
「彼を知り、己を知るは、将たる者の備へ、決して、いたづらに患(うれ)ひてゐるのではない。いま城中にある兵糧は、よく幾月を支へ得ようか。またその兵糧を喰ふ大部分の軍兵は、元来、曹操から預つてきた者共で、みな許都へ帰りたがつてをるであらう。かゝる弱体をもつて、曹操に当らんなど、思ひもよらぬことである。たゞ千に一つの恃(たの)みは、袁紹の来援であるが、これとても……」
彼の正直な嘆息に、帷幕の人々も何となく意気昂(あが)らない態(テイ)だつた。——餘りに正直すぎる大将といふ者も困りものだ。こんな気の弱い御主君は他にあるまい——と張飛も奥歯を咬(か)みながら黙つてしまふ。
——と。次に、関羽が前へ出て云つた。
「御深慮は尤(もつと)もです。けれど、坐して滅亡を待つべきでもありますまい。それがし城外へ罷(まか)り向つて、およそ寄手の兵気虚実をさぐる程度に、小当りに当つてみませう。策は、その上で」
と、陳登と同意見を述べた。穏当なりと認めたか、玄徳は、
「行け」
と、関羽にゆるした。
関羽は、手勢三千を率して城外へ打つて出た。折ふし、十月の空は灰いろに閉ぢて、鵞毛(ガモウ)のやうな雪が紛々と天地に舞つてゐた。
城を離れた三千騎の兵馬は、雪を捲いて寄手王忠軍へ衝(つ)ツかけてゐた。
雪と馬、雪と戟、雪と兵、雪と旗、卍となつて、早くも混戦になつた。
「そこにあるは、王忠ではないか何で楯(たて)の陰ばかり好むぞ」
大青龍刀をひつさげながら、関羽は馬を乗りつけて、敵の中軍へ呼びかけた。
王忠も躍りあはせて、
「匹夫つ、降(くだ)るなら、今のうちだぞ。わが中軍には、曹丞相あり。あの御旗が目に見えぬか」
と云つた。
ふる雪に、牡丹のやうな口を開いて、関羽はから/\と大笑した。
「曹操がをるなれば、何よりも望む対手(あひて)。これへ出せ」
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次回 → 鬮(三)(2025年1月17日(金)18時配信)