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前回はこちら → 一書十万兵(三)
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その頃、北海(山東省・青州)の太守孔融は、将軍に任命されて、都に逗留してゐたが、河北の大軍が、黎陽(レイヤウ)まで進出してきたと聞いて、すぐさま相府に馳けつけ、曹操に謁してかう直言した。
「袁紹とは決して軽々しく戦へません。多少は彼の条件を容れても、こゝは〔じつ〕と御自重あつて対策を他日に期して和睦をお求めあることが万全であらうと考へられますが」
「貴公もさう思ふか」
「勢の旺(さかん)なるものへ、敢て当つて砕けるのは愚の骨頂です」
「旺勢は避けて、弱体を衝く。——当然な兵法だな。——だがまた、装備を誇る驕慢な大軍は、軽捷(ケイセフ)な寡兵をもつて奇襲するに絶好な好餌(カウジ)でもあるが?」
曹操はさうつぶやいて、是とも非とも答へずにゐたが、再び口を開いて、
「ともあれ、諸人の意見に問はう。けふの軍議には、御身もぜひ列席してくれい」
と、云つた。
その日の評議にのぞんで、曹操は満堂の諸将にむかひ、
「和睦か、将(は)た、決戦か」
の忌憚なき意見をもとめた。
荀彧が、まづ云つた。
「袁紹は、名門の族で、旧勢力の代表者です。時代の進運をよろこばず、旧時代の夢を固持してゐる輩(ともがら)のみが、彼を支持して、時運の逆行に焦心(あせ)つて居るのであります。かくの如き無用な閥族の代表者は、よろしく一戦の下に、打(うち)破るべきでありませう」
孔融は、彼の言が終るを待つて、
「否(いな)!」
と、起ち上つた。
「河北は、沃土ひろく、民性は勤勉です。見かけ以上、国の内容は強力と思はねばなりますまい。のみならず、袁紹一族には、富資精英の子弟も多く、麾下には審配、逢紀などのよく兵を用ふるあり、田豊、許攸(キヨシウ)の智謀、顔良、文醜等の勇など、当るべからざる概があります。また沮授、郭図、高覧、張郤(チヤウゲキ)(ママ)、于瓊(ウケイ)などゝ云ふ家臣も、みな天下に知られた名士である。どうして、彼の陣容を軽々と評価されようか」
荀彧は、にや/\笑つて聞いてゐたが、孔融の演舌がすむと、やをら答へて、
「足下は、一を知つて二を知りたまはず、敵を軽んずるのと、敵の虚を知るのとは、わけがちがふ。抑々(そも/\)袁紹は国土にめぐまれて富強第一といはれてゐるが、国主たる彼自身は、旧弊型の人物で、事大主義で、新人や新思想を容れる雅量はなく、故に、国内の法は決して統治されてゐない。その臣下にしても、田豊は剛毅ではあるが、上を犯す癖あり、審配はいたづらに強がるのみで遠計なく、逢紀は、人を知つて機を逸す類の人物だし、そのほか顔良、文醜などに至つては、匹夫の勇にすぎず、たゞ一戦にして生捕ることも易からう。——なほ、見のがし難いことは、それ等の碌々たる小人輩が、たがひに権を争ひ、寵(チヨウ)を妬みあつて、ひたすら功を急いでゐることである。——十万の大軍、何するものぞ。彼より来るこそ、お味方の幸である。いま一挙に、それを討たないで、和議など求めて行つたら、いよ/\彼等の驕慢をつのらせ、悔を百年にのこすであらう」
両者の説を黙然と聞いてゐた曹操は、しづかに口を開いて、断を下した。
「予は戦ふであらう!議事は終りとする。はや出陣の準備につけ!」
その夜の許都は、真つ赤だつた。
前後両営の官軍二十万、馬はいなゝき、鉄甲は鏘々(シヤウ/\)と鳴り、夜が明けてもなほ陸続と絶えぬ兵馬が黎陽をさしてたつて行つた。
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次回 → 丞相旗(二)(2025年1月14日(火)18時配信)