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前回はこちら → 偽帝(ぎてい)の末路(三)
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陳大夫の息子陳登は、その後も徐州にとゞまつて城代の車冑を補けてゐたが、一日(あるひ)、車冑の使(つかひ)をうけて、何事かと登城してみると、車冑は人を払つて
「実は、曹丞相から密書をもつて玄徳を殺すべしといふ御秘命だがやり損じたら一大事である。何か其許(そこもと)に必殺の名案はあるまいか」
と、声をひそめての相談であつた。
陳登は、内心おどろいたが、さあらぬ顔して
「いま、玄徳を殺すことは、嚢中の物をつかむも同様で、いと易いことではありませんか。城門の内に、伏兵を詰(つめ)おき、彼を招いて通過の節、十方より剣槍の餌となし給へ。それがしは櫓の上にあつて、彼につゞく部下の者を、門橋より濠(ほり)際に亘(わた)つて、つるべ撃ちに射伏せてお目にかけませう」
車冑はよろこんで
「然(しか)らば、早速にも」
と、兵の手配にかゝり、一方城外の玄徳へ使(つかひ)を派して涼秋八月、将(まさ)に観月の好季、清風に駕を乗せて一夜、城楼の仰月臺(ギヤウゲツダイ)までおいで願ひたい。美璧玉杯をつらねて臨坐をお待(まち)すると云ひ遣(や)つた。
同日、陳登は家に帰ると、すぐ父の陳大夫に、そのことを打明けて、父の顔いろを窺つてみた。しかし陳大夫が玄徳に対する誼(よしみ)は、以前とすこしも変つてゐなかつた。
「玄徳は仁者ぢや。わしたち父子は、曹操から恩祿はうけてゐるがさればと云つて、玄徳を殺すにはしのびぬ。そちはどう考へてゐるか」
「元より私とて、車冑へ答へたことばが、本心ではありません」
「では、すぐさま、玄徳のはうへその由を、そつと報らせてやるがよい」
「使(つかひ)では不安ですから、夜に入るのを待つて、自身で行つて参ります」
やがて陳登は、宵闇の道を、驢に乗つて出て行つた。そして玄徳の旧宅を訪れたが、玄徳には会はず、関羽、張飛のふたりを呼出し、車冑の企てをはなした。
さう聞くや否、張飛は
「さては先程、白々しい礼を執つて、観月の宴に、お招きしたいとか云つて帰つた使者がそれだらう。小賢しい曲者(しれもの)めが」
と、牙(きば)を咬(か)んで、すぐにも軽騎七、八十を引具し、城内へ突入して、車冑の首をひきちぎつてくると、噪(はしや)ぎたてた。
「あわてるな、敵にも備へのあることだ」
関羽は、彼の軽忽(ケイコツ)をたしなめ、一計を立てゝ、夜の更けるを待つた。
「こんなことは、家兄の耳に入れる迄(まで)もない些事(サジ)に過ぎん。ふたりだけで、黙つて片づけてしまはう」
関羽の思慮に張飛も服した。
そして共に、彼の立てた計略に従つた。
さきに許都からついてきた五万の軍隊は、曹操の旗じるしを持つてゐる。関羽は、その旗幟(キシ)を利用して、まだ霧の深い暁闇(ゲウアン)の頃、粛粛と兵馬を徐州の濠ぎはまですゝめて行つた。
そして、大音声をあげ
「開門せよ、開門せよ」
と、呼ばはつた。
時ならぬ軍馬に
「何者だ」
と、門内の部将は、すくなからず緊張して、容易に開ける様子もない。
関羽は、声を作つて、
「これは、曹丞相のお使として、火急の事あつて、許都より急ぎ下つて来た張遼といふ者。疑はしくば、丞相より降したまへる旗じるしを見よ」
と、暁の星影に、しきりと旗幟を打(うち)振らせた。
折も折、曹操からの急使と聞いて、車冑は、思ひ惑つた。陳登はそれより前に、城内へ帰つてゐたので、彼が狐疑(コギ)してゐる〔てい〕を見ると
「何をしてゐるのです。早く城門をお開けなさい、あのとほり丞相の旗を打(うち)振つてゐるではありませんか。もし使者の張遼の心証を害して、後難を受けられても、それがしは関知しませんぞ」
と、暗に脅した。
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次回 → 霧風(二)(2025年1月8日(水)18時配信)