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時は、大暑の六月なのでその困苦はひとかたでなかつた。
炎天に焦りつけられて、
「もう一歩もあるけぬ」
と訴へる老人もある——。
「水がほしい。水をくれいツ」
と、絶叫しながら息をひきとつてしまふ病人や傷負(ておひ)もある。
落人の人数は、十里行けば十人減り、五十里行けば五十人も減つていつた。
「歩けぬ者はぜひもない。傷負(ておひ)や病人も捨てゝ行け。まごまごしてゐれば玄徳の追手に追ひつかれよう」
袁術は一族の老幼や、日頃の部下も惜気もなく捨てゝ逃げた。
だが幾日か落ちて行くうち、携へてゐた兵糧もなくなつてしまつた。袁術は麦の摺屑(すりくづ)を喰つて三日もしのんだがもうそれすらなかつた。
餓死するもの数知れぬ有様である。あげくの果、着てゐる物まで野盗に襲はれて剝(はぎ)取られてしまひ、よろ這(ぼ)ふ如く十幾日かを逃げあるいてゐたが、顧みるといつか自分のそばには、もう甥の袁胤(ヱンイン)ひとりしか残つてゐなかつた。
「あれに一軒の農家が見えます。あれまでご辛抱なさいまし」
もう気息奄々としてゐる袁術の手を肩にかけながら、甥の袁胤は炎天の下を懸命にあるいてゐた。
二人は餓鬼のごとく、そこの農家の厨まで、這つて行つた。袁術は大声でさけんだ。
「農夫々々、予に水を与へよ。……密水はないか」
すると、そこにゐた一人の百姓男が嗤つて答へた。
「なに。水をくれと。血水ならあるが、密水などあるものか。馬の尿(いばり)でものむがいゝさ……」
その冷酷なことばを浴(あび)ると袁術は両手をあげてよろ/\と立上がり
「ああ!、おれはもう一人の民も持たない国主だつたか。一杯の水をめぐむ者もない身となつたか」
大声で号泣したかと思ふと、かつと口から血を吐くこと二斗、朽木(くちき)の仆れるがやうに死んでしまつた。
「あつ伯父上」
袁胤はすがりついて、声かぎり呼んだが、それきり答へもなかつた。
泣く/\彼は袁術の屍を埋め、ひとり盧江(ロカウ)方面へ落ち行つたが、途中、広陵の徐璆(ジヨキウ)といふものが、彼を捕へたので、その体を調べてみると、意外な物を持つてゐたのを発見した。
伝国の玉璽である。
「どうして、こんな物を所持してゐるか」
と、拷問にかけて問ひたゞすと、袁術の最期の模様を審(つまびら)かに白状したので、徐璆はおどろいて、すぐ曹操に文書を以(もつ)て報らせ、あはせて、伝国の玉璽をも曹操のところへ送つた。
曹操は、功を賞して徐璆を高陵(ママ)の太守に封じた。
また一方、玄徳は所期の目的を果(はた)したので、朱霊、路昭(ロセウ)の二大将を都へ返し、曹操から借りて来た五万の兵は、
「境を守るために」
と称して、そのまゝ徐州にとゞめおいた。
朱霊、路昭の二将は都へ帰つて、その由を曹操に告げると、曹操は、烈火のごとく怒つて、
「予が兵を、予のゆるしを待たず何故(なにゆゑ)、徐州にのこして来たか」
と、即座にふたりの首を刎(はね)んとしたが、荀彧が諫めて云ふには、
「すでに丞相がさきに、玄徳が総大将とおゆるしになつたため軍の指揮も当然玄徳に帰してゐたわけです。ふたりは玄徳の部下として行つたもの故(ゆゑ)彼の威令に従はないわけにゆかなかつたでせう。もうやむを得ません、この上は車冑に謀略をさづけて、玄徳を今のうちに討つあるのみです」
「実にも」
と曹操は、彼の言を容れて、それからは専ら玄徳を除く工夫を凝し密かに、書を車冑へ送つて、その策をさづけた。
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次回 → 霧風(むふう)(一)(2025年1月7日(火)18時配信)