あけましておめでとうございます。本日より配信再開となります。
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前回はこちら → 偽帝の末路(一)
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【前回迄の梗概】
◇…後漢末の乱世に乗じて群雄各地に割拠、江南の袁術、江東の孫策、丞相曹操、皇叔左将軍宜亭侯玄徳はその主なるものであつた。
◇…献帝を擁して中央に威を振ふ曹操は旭日の勢であつたが、皇帝の御心が玄徳に傾くや、年来の野心を露骨に示すと共に、玄徳の進退につき深く注目するに至る。
◇…曹操に疑はれてゐるを知つた玄徳は雷に驚いたり、田を耕して偽るが、袁紹、袁術の兄弟の討伐に事よせて曹操より五万の兵を借りうけ許都を脱出して了ふ。曹操は後で玄徳の深慮を悟る。
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こゝに、淮南の袁術は、みづから皇帝と称して、居殿後宮も、すべて帝王の府に擬し、莫大な費(つひえ)をそれにかけたので、いきほひ民に重税を課し、暴政のうへにまた暴政を布(し)くという無理を執らなければ、その維持もできない状態になつてしまつた。
当然——、
民心はそむく、内部はもめる。
雷薄、陳闌などゝいふ大将も、これでは行末(ゆくすゑ)が思ひやられると、嵩山(カウザン)へ身をかくしてしまふし、加ふるに、近年の水害で、国政はまつたく行詰まつてしまつた。
そこで、袁術が、起死回生の一策として、思ひついたのが、河北の兄袁紹へ、持(もて)餘(あま)した帝号と、伝国の玉璽を押(おし)つけて、ていよく身を守ることだつた。
袁紹には、もとより天下の望みがある。
それに又先頃、北平の公孫瓚を亡ぼして、一躍領土は拡大されてゐる。もとより兵糧財貨には富んでゐるし、隆々たる勢ひの折も折であつたから、一も二もなく、
「淮南を捨て、河北へ来るならば、如何やうにも、後事を図つてやらう」
と、それに答へた。
そこで。
袁術は浅慮(あさはか)にも、一切の人馬をとりまとめ、たゞ水害に飢ゑてうごけない住民だけを残して、淮南から河北へ移らうと決めた。
皇帝の御物、宮門の調度ばかりでも、数百輛の車を要した。後宮の女人をのせた駕車や一族老幼をのせた驢の背だけでも、蜿蜒(ヱンエン)数里にもわたつた。もちろん、それに騎馬(キバ)徒歩(かち)の軍隊もつゞき将士の家族から家財まで従つてゆくので、前代未聞の大規模な引つ越しだつた。その大列は、蟻の如く、根気よく野を進み、山をめぐり、河を渡り、悠々(イウ/\)晨(あした)は霧のまだきに立ち、夕べは落日に停(とゞま)つて、北へ北へ移動して行つた。
徐州の近くである。
玄徳の軍は待ちうけてゐた。
総勢五万、朱霊、露昭を左右にそなへ、玄徳をまん中に、鶴翼を作つて包囲した。
「小ざかしき蓆織(むしろおり)の匹夫めが」
と、袁術の先鋒から大将の紀霊が討つて出る。
張飛、それを見て、
「待つこと久し」
とばかり、馬を寄せ、白光(ビヤククワウ)閃閃(センセン)、十合ばかり喚き合つたが、忽ち、紀霊を一槍(ひとやり)に刺(さし)ころし、
「かくの如くなりたい者は、張飛の前に名のつて出よ」
と、死骸を敵へ抛りつけた。
次々と、袁術の麾下は、討ち減らされていつた。そのうへ、乱れ立つたうしろから、一彪の軍馬が、袁術の中軍を猛襲し、兵糧財宝、婦女子など、車ぐるみ奪掠して行つた。
白昼の公盗は、まだ戦つてゐるうちに、行はれたのである。しかもその盗賊軍は、さきに袁術を見限つて嵩山へかくれた旧臣の陳闌、雷薄などの輩(ともがら)だつた。
「おのれ、不忠不義の逆賊めら」
袁術は怒つて、悲鳴をあげる婦女子を助けんものと、自ら槍をもつて狂奔してゐたが、顧みると、いつか味方の先鋒も潰滅し、二陣も蹴やぶられ、黄昏かけた夕月の下に、累々と数へきれない味方の死骸が見えるばかりだつた。
「すは。わが身も危(あやふ)し」
と、気がついて、昼夜もわかたず逃げ出したが、途中、強盗山賊の類にはおびやかされるし、強壮な兵は、勝手に散つてしまふしで、漸く江亭(カウテイ)といふ地まで引揚げて、味方をかぞへてみると、千人にも足らない小勢となつてゐた。
しかも、その半分が、肥(こえ)ふくれた一族の者とか、物の役に立たない老吏や女子供だつた。
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次回 → 偽帝の末路(三)(2025年1月6日(月)18時配信)
なお、日曜日については夕刊が休刊のため、配信はありません。