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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 黒業白業(三)
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「父上。なぜ、御返辞がないのですか」
「でも……。いくらわしが、この城の守りに残つてゐても、城中には、呂布の一族妻子などが大勢ゐるではないか。——呂布が城門まで逃げ帰つて来たのを見たら、わしが開けるなと云つても、一族の輩が承知するはずはない」
「ですから、それも私が、一策を講じて、よいやうにして行きます」
暗黒の密室にかくれて、父子が謀(しめ)し合せてゐると、隣の武器庫で
「陳大夫はどうしたのだらう」
「陳登の姿も見えぬが」
と、他の大将が話してゐた。
父子は眼を見合せて、しばし息をこらしてゐたが、隙(すき)を見て、別れ/\に出て行つた。
「何して居つたか」
呂布は、それへ来た陳登のすがたを見ると、一喝した。
無理はない。もう出陣の身支度も終つて、閣の外に、勢揃ひしてゐた所である。
陳登は悪びれず、彼の床几(シヤウギ)の前に拝伏して
「実は、父が餘りにも、お留守の大役を案じるので、励まして居たものですから」
と言ひ訳した。
呂布は眉をひそめて
「徐州の留守が、どうしてそんな心配になると、陳大夫は云ふのか?」
「何分こんどは、今(いま)迄(まで)の一方的な戦争とちがつて、曹軍の大勢は、この徐州の四面を遠くから包囲して来てをります。もし、万が一にも、事態が急に迫つた時は、城中の御一族、金銀兵糧なども、俄(にはか)には他へ移しやうもございません。——老人の取越し苦労といひませうか、老父はひどくそれを案じてをりました」
「あゝ、成程。その憂ひも一理あるな」
呂布は急に、糜竺を招いて
「そちは陳大夫と共に城に残つてわが妻子や金銀兵糧などを、すべて下邳の城の方へ移しておけ。よろしいか」
と、いひつけた。
彼は、後方の万全を期したつもりで、勇躍、徐州城から馬をすゝめて行つたが、何ぞ知らん、その糜竺も、疾(と)くから陳大夫父子と気脈を通じて、呂布の陥穽(カンセイ)を掘つてゐた一人だつたのである。
——が。呂布はなほ気づかなかつた。
小沛の危急を救ふつもりで、途中まで来ると、
「蕭関が危い」
と聞えて来た。
呂布は、気が変つて、
「さらば、蕭関から先に喰ひ止めよう」
と、急に道を更へた。
陳登は、諫めた。
「将軍は、お後(あと)から徐々と、なるべくお急ぎなくお進みなさい」
「なぜ、急ぐなといふか」
「蕭関の防ぎには、お味方の陳宮や蔵覇(ザウハ)(ママ)も向つてゐますが、多くは泰山の孫観とか呉敦などの兵です。彼等はもと/\山林の豺狼(サイラウ)利に遭へば、いつ寝返りを打つかも知れません。まづそれがしが先に数十騎をひきいて蕭関に臨み、陣中の気ぶりを見た上でお迎へに馳け戻つて来ませう」
「よく気がついた。わが命を守つて、細やかな心くばり。そちの如き者こそ、真の忠義の士といふのだらう。早く行け」
「では、殿にはお後から」
と、陳登は先に馳けた。
そして蕭関の砦(とりで)へ来ると、味方の陳宮、蔵覇(ママ)に会見して、戦のもやうを問ひ
「時に、呂将軍は、なぜか容易にこれへお進みがない。——何か御辺たちは、殿から疑はれるやうな覚えはござらぬか」
と、囁(さゝや)いた。
「……はてな?そんな覚えはないが」
陳宮、蔵覇(ママ)は、顔を見合せた。けれど、何の覚えはなくとも、敵と対峙してゐる前線にあつて、後方の司令部から疑惑されてゐると聞いては、不安を抱かずにゐられなかつた。
その夜のことである。
独りひそかに、砦の高櫓へのぼつて行つた陳登は、はるか曹操の陣地とおぼしき闇の火へ向つて、一通の矢文(やぶみ)を射込み、何喰はぬ顔して又降りて来た。
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次回 → 奇計(一)(2024年10月31日(木)18時配信)