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連載第95回 → 乱兆(一)
(全14冊本第2巻「群星の巻」初回。昭和14年12月20日付掲載)
前回はこちら → 健啖天下一(五)
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堂中の諸大将を代表して、荀攸が起立して答えた。
「出師の御発議、われらに於ても然(しか)るべく存じます。劉表、張繡とても、先ごろ手痛く攻撃された後のこと、軽々しく兵をおこして参らうとは思はれません。——それを憚って、もしこの際、呂布のなす儘(まゝ)に委せておいたら、袁術と合流して、泗水淮南に縦横し、遂には将来の大患となりませう。彼の勢いのまだ小なるうちに、よろしく禍(わざはひ)の根を断つこそ急務と思はれます」
曹操は左の手を胸に当て、右手を高く伸ばして、
「いしくも申したり。——満座、異議はないか」
と云つた。
異口同音に、
「ありません」
諸大将、総(すべ)て起立して、賛意を表した。
「さらば征(ゆ)いて、小沛の危急を救へ」
とばかり、まづ夏侯惇、呂虔、李典の三名を先鋒に、五万の精兵をさづけ、徐州の境へ馳せ向はした。
呂布の麾下、高順の陣は、突破をうけて潰乱した。
「なに。曹操の先手が、はや着いたとか」
呂布は狼狽した。もう曹操との正面衝突は、避け難い勢に立到つたものと観念した。
「侯成(コウセイ)、はや参れ。郝萌、曹性(サウセイ)も馳け向へ。——そして高順を助けて、遠路につかれた敵兵を一挙に平げてしまへ」
呂布の命令に、呂布の軍は直(たゞち)に軍の移動を起した。
それまで、小沛を遠巻(とほまき)にしてゐた彼の大兵が、一部、それに向つたので、全軍三十里ほど、小沛から退いたのであつた。
城中の玄徳は、
「さてこそ、許都の援軍が徐州の境まで着いたと見ゆる」
と察して、孫乾(ソンカン)、糜竺、糜芳(ビハウ)らを城内にのこし、自身は関羽、張飛の両翼を従へて今までの消極的な守勢から攻勢に転じ、俄然、凸形に陣容をそなへ直した。
——が、猶そこは、静なること林の如く、動かざること山のやうであつたが、すでに呂布軍の一角と、曹操軍の尖端とは激突して、戦塵をあげ初めてゐた。
その日の戦に。
曹操麾下の夏侯惇は、呂布の大将高順と名乗りあつて、五十餘合戦つたが、そのうち高順が逃げ出したので、
「きたなし、返せ/\」
と、呼ばはりながらあくまで追(おひ)馳けまはして行つた。
すると、高順の味方曹性が、
「すは、高順の危急」
と見たので、馬上、弓をつがへて、近々と走り寄り、夏侯惇の面をねらつて、ひよつと射た。
矢は、夏侯惇の左の眼に突き刺さつた。彼の半面は鮮血に染み、思はず、
「呀ツ」
と、鞍の上で〔のけ〕反(ぞ)つたが、鐙(あぶみ)に確(しか)と踏みこたへて、片手でわが眼に立つてゐる矢を引き抜いたので、鏃(やじり)と共に眼球も出てしまつた。
夏侯惇は、どろ/\な眼の球のからみついてゐる鏃を面上高くかざしながら、
「これは父の精、母の血液。どこにも捨てる場所がない。——あら、もつたいなや」
と、大音で独り言を云つたと思ふと、鏃を口に入れて、自分の眼の球を喰べてしまつた。
そして、真つ赤な口を、くわつと開いて、片眼に曹性のすがたを睨み、
「貴様かツ」
と、馬を向け跳びかゝつて来るや否、たゞ一槍の下に、片眼の讐を突き殺してしまつた。
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次回 → 健啖天下一(七)(2024年10月25日(金)18時配信)