第一回 → 黄巾賊(一)
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耿武は、身を挺して、袁紹を途上に刺し殺し、そして君国の危殆(キタイ)を救ふ覚悟だつた。
すでに袁紹の列は目の前にさしかゝつた。
耿武は、剣を躍らせて、
「汝、この国に入る勿(なか)れ」
と、さけんで、やにはに、袁紹の馬前へ近づきかけた。
「狼藉(ラウゼキ)者(もの)つ」
侍臣たちは、立騒いで防ぎ止めた。大将顔良は、耿武のうしろへ廻つて、
「無礼者つ」
と、一喝して斬りさげた。
耿武は、天を睨んで、
「無念」
と云ひざま、剣を、袁紹のすがたへ向つて投げた。
剣は、袁紹を貫かずに、彼方の楊柳の幹へ突刺さつた。
袁紹は、無事に冀州へ入つた。太守韓馥以下、群臣万兵、城頭に旌旗(セイキ)を掲げて、彼を国の大賓として出迎へた。
袁紹は、城府に居据(すわ)ると、
「まず、政(まつり)を正すことが、国の強大を計る一歩である」
と、太守韓馥を、奮武将軍に封じて、態(テイ)よく、自身が藩政を執り、専ら人気取りの政治を布いて、田豊、沮授、逢紀などゝいふ自己の腹心を、それ/゛\重要な地位へつかせたので、韓馥の存在といふものはまつたく薄らいでしまつた。
韓馥は、臍(ほぞ)を嚙んで、
「あゝ、われ過てり。——今にして初めて、耿武の忠諫(チウカン)が思ひあたる」
と、悔いたが、時すでに遅しであつた。彼は日夜、懊悩(アウナウ)煩悶(ハンモン)したあげく、遂(つひ)に陳留へ奔(はし)つて、そこの太守張邈(チヤウボウ)の許(もと)へ身を寄せてしまつた。
一方。
北平の公孫瓚は、
「かねての密約」
と、これも袁紹の前言を信じて、兵を進めて来たが、冀州はもう袁紹の掌(て)に落ちてゐるので、弟の公孫越(コウソンヱツ)を使者として、
「約定のごとく、冀州は二分して、一半の領土を当方へ譲られたい」
と、申込むと、袁紹は、
「よろしい。然(しか)し、国を分つ事は、重大な問題だから、公孫瓚自身参られるがよい。必ず、約束を履行するであらう」
と、答へた。
公孫越は満足して、帰路についたが、途中、森林のうちから雨霰(あめあられ)の如き矢攻めに遭つて、無残にも、立往生のまゝ射殺されてしまつた。
それと聞えたので、公孫瓚の怒りは、言ふまでもない事。一族みな、血をすゝつて、袁紹の首を引つ提(さ)げずに、何で、再び郷土の民にまみえんや——とばかり盤河(バンカ)の橋畔(ケウハン)まで押して来た。
橋を挟んで、冀州の大兵も、ひしめき防いだ。中に袁紹の本陣らしい幡旗(ハンキ)がひるがへつて見える。
公孫瓚は、橋上に馬をすゝませて、大音に、
「不義、破廉恥、云ひやうもなき人非人(ひとでなし)の袁紹、いづこにあるぞ。——恥を知らば出(い)でよ」
と、云つた。
「何を」
と、袁紹も、馬を躍らせて来て、共に盤河橋を踏まへ、
「韓馥は、身不才なればとて、この袁紹に、国を譲つて、閑地へ後退いたしたのだ。——破廉恥とは、汝のことである。他国の境へ、狂兵を駆り催して来て、何を掠(かす)め奪(と)らんとする気か」
「だまれつ袁紹。先つ頃は、共に洛陽に入り、汝を忠義の盟主と奉じたが、今思へば、天下の人へも恥かしい。狼心狗行(ラウシンクカウ)の曲者(くせもの)めが、何の面目あつて、太陽の下に、〔いけ〕図々しくも、人間なみな言を吐きちらすぞ」
「おのれよくも雑言を。——誰かある、彼奴(きやつ)を生(いけ)擒(ど)つて、あの舌の根を抜き取れ」
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次回 → 白馬将軍(三)(2024年3月19日(火)18時配信)