第一回 → 黄巾賊(一)
前回はこちら → 偽忠狼心(ぎちうらうしん)(五)
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さて。——日も経て。
曹操は漸(やうや)く父のゐる郷土まで行き着いた。
そこは河南の陳留(開封の東南)と呼ぶ地方である。沃土は広く豊饒であつた。南方の文化は北部の重厚とちがつて進取的であり、人は敏活で機智の眼がするどく働いてゐる。
「どうかして下さい」
曹操は、家に帰ると、事の次第をつぶさに告げて、幼児が母に菓子でもねだるやうな調子で強乞(せが)んだ。
「——義兵の旗挙げをする決心です。誰が何といつても、この決心はうごきません。そこで、父上にも、一肌ぬいでいたゞきたいんですが」
と、云ふのである。
父の曹嵩も、
「ウーム……。偉い事を仕出来(しでか)して来居つたな」
と、呆れ顔に、呻いてばかりゐたが、元来、幼少から兄弟中でいちばん可愛がつてゐる曹操のことなので、
「どうかしてくれつて、何(ど)うすればよいのぢや」
と、叱言(こごと)も出なかつた。
「軍費が要用(いりよう)なんですが」
「軍費と云つたら、わしの家(うち)のこればかしな財産では、いくらの兵も養へまいが」
「ですから、父上のお顔で、富豪(かねもち)を紹介して下さい。曹家は、財産こそないが、遠くは夏侯氏(カコウシ)の流れを汲み、漢の丞相(シヤウジヤウ)曹参の末流です。この名門の名を利用して、富豪(かねもち)から金を出させて下さい」
「ぢやあ、衛弘(ヱイコウ)に話してみるさ」
「衛弘つて誰ですか」
「河南でも一二を争ふ財産家だがね」
「ぢやあ、父上が聘(よ)んで、一日、酒宴を設けてくれませんか」
「おまへの云ふ事は、何でも簡単だな」
「大きな仕事を、手軽にやつてのけるのが、大事を成す秘訣ですよ」
父子(おやこ)は、日を定めて、衛弘をわが邸(やしき)に招待した。
衛弘は、曹操をながめて、
「都へ行つてゐたと聞いてゐたが、いつのまにか、よい青年になつたなあ」
などゝ云つた。
曹操は、彼を待遇するに、あらゆる慇懃を尽した。
そして、話の弾んで来た頃、胸中の大事を打明けて、援助を依頼してみた。
もし嫌だと云つたら、生かしては帰さないといふ気を、胸に含んでの真剣な膝づめ談判であつたから、静かに頼むうちにも、曹操の眸は、刃(やいば)のやうに研(と)げてゐたに違ひなかつた。
ところが、衛弘は聞くとすぐ、
「よろしい。御辺の忠義にめでゝ、御援助しませう。近ごろの天下の乱れを、わしも嘆いてゐたが、わしの器量にはない事だから、時勢の成行きを眺めてゐた折です。——いくらでも軍用金は御用立てしよう」と、承知してくれた。
曹操は、欣(よろこ)んだ。
「えつ、ではお引(ひき)うけ下さるか。然(しか)らば、私は早速、兵を集めにかかるが」
「おやんなさい。けれど、敗れるやうな戦(いくさ)はすべきでありませんぞ。充分、勝算を握つた上で、大挙なさるがよい」
「軍費の方さへ心配なければ、何(ど)んなことでもできます。河南をわが義兵を以て埋めてごらんに入れるから見てゐて下さい」
父の曹嵩には、幾つになつても、子は子供にしか見えなかつた。曹操の餘りな豪語に、衛弘がすこし乗過ぎてゐるのぢやないかと、かへつて側(はた)で心配した程だが、それから後、曹操のやる事を見てゐると、愈々(いよ[いよ])、不敵を極めてゐた。
先(ま)づ彼は、近郷の壮丁を狩集め、白い二旒(ニリウ)の旗を作つて、一旒には「義」と大書し、一旒には「忠」と大きく書いて、
「われこそ、朝廷から密詔をうけて、この地に降つた者である」
と唱へ出した。
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次回 → 競ふ南風(二)(2024年2月6日(火)18時配信)