前回はこちら → 流行る童歌(四)
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又、黄巾軍の徒党は、全軍の旗もすべて黄色を用ひ、その大旆には、
蒼天已死(さうてんすでにしす)
黄夫当立(くわうふまさにたつべし)
歳在甲子(としかうしにありて)
天下大吉(てんかだいきち)
といふ宣文を書き、党の楽謡部は、その宣文に、童歌風のやさしい作曲をつけて、党兵に唄はせ、部落や村々の地方から郡、県、市、都へと熱病のやうに唄ひ流行らせた。
大賢良師張角!
大賢良師張角!
今は、三歳の児童も、その名を知らぬはなく、
(——蒼天スデニ死ス。黄夫マサニ立ツベシ)
と唄つた後では、張角の名を囃して、今にも、天上の楽園が地上に実現するやうな感を民衆に抱かせた。
けれど、黄巾党が跋扈すればする程、楽土はおろか、一日の安穏も土民の中にはなかつた。
張角は自己の勢力に服従して来る愚民共へは、
(太平を楽しめ)
と、逸楽を許し、
(わが世を謳歌せよ)
と、暗に掠奪を奨励した。
その代りに、逆らふ者は、仮借なく罰し、人間を殺し、財宝を掠め奪(と)る事が、党の日課だつた。
地頭や地方の官吏も、防ぎやうはなく、中央の洛陽の王城へ、急を告げることも頻々であつたが、現下、漢帝の宮中は、頽廃と内争で乱脈を極めてゐて、地方へ兵を遣(や)るどころではなかつた。
天下一統の大業を完成して、後漢の代(よ)を興した光武帝から、今は二百餘年を経(へ)、宮府の内外には又、漸(やうや)く腐爛と崩壊の兆(てう)があらはれて来た。
十一代の帝、桓帝が逝(ゆ)いて、十二代の帝位に即(つ)いた霊帝は、まだ十二、三歳の幼少であるし、輔佐の重臣は、幼帝を偽(あざむ)き合ひ、朝綱を猥りにし、佞智の者が勢ひを得て、真実のある人材は、みな野に追はれてしまふといふ状態であつた。
心ある者は、密かに、
(どうなり行く世か?)
と、憂へてゐる所へ、地方に蜂起した黄巾賊の口々から、
——蒼天已死(さうてんすでにしす)
の童歌が流行つて来て、後漢の末世を暗示する声は、洛陽の城下にまで、満ちてゐた。
さうした折に又、こんな事も、ひどく人心を不安にさせた。
或年。
幼帝が温徳殿(ウントクデン)に出御なされると、遽(にはか)に、狂風がふいて、長(たけ)二丈餘の青蛇が、梁から帝の椅子の側に落ちて来た。帝はきやつと、床に仆(たふ)れて気を失はれてしまつた。殿中の騒動はいふまでもなく、弓箭や鳳尾槍をもつた禁門の武士が馳けつけて、青蛇を刺止(しと)めんとしたところが、突如、雹まじりの大風が王城をゆるがして、青蛇は雲となつて飛び、その日から三日三夜、大雨は底のぬけるほど降りつづいて、洛陽の民家の浸水(みずつ)くもの二万戸、崩壊したもの千何百戸、溺死怪我人算(サン)なし——といふような大災害を生じた。
また、つい近年には。
赤色の彗星が現れたり、風もない真昼、黒旋風が突然ふいて、王城の屋根望楼を飛ばしたり、五原山の山つなみに、部落数十が、一夜に地底へ埋没してしまつたり——凶兆ばかり年毎(としごと)に起つた。
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次回 → 流行る童歌(六)(2023年9月7日(木)18時配信)