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思ひがけぬ孔明の言葉に、老将黄忠の忿懣(フンマン)はやるかたなく、色をなして孔明に迫るのだつた。
「昔、廉頗(レンパ)は年八十に及んで、尚(なほ)米一斗、肉十斤を食ひ、天下の諸侯、これを怕(おそ)れ、敢て趙の国境を犯さなかつたと云ひます。まして私は、未だ七十に及ばず、何ゆえに老いたりとて、左様に軽んじられるのですか、それがし只(たゞ)一人、三千餘騎を率ゐ、必ず、夏侯淵の首を取つて参るでせう」
孔明は、なほ聴かない。黄忠は幾度となく、執念深く許しを乞ふので、遂に孔明も折れて、
「強ひて行かれるならば、法正を監軍として同伴なさい。そして万事合議して、慎重に事を行ふがよろしい。決して軽々になさつてはなりません。我も亦(また)兵を以て援助しませう」
と条件を附して許した。
黄忠は文字通り勇躍、兵を率ゐて出発した。その後、孔明は秘(ひそ)かに玄徳に向ひ、
「老将黄忠、たゞ簡単に許しては駄目なのです、あゝして言葉を以て励まして、初めて責任も一層強く感じ、対手の認識も新にすると申すものです。只今出発致しましたが、別に援兵を送る必要がありませう」
と云つて、許しを乞ひ、早速趙雲をよびよせ、
「御辺、一手の兵を率ゐ、小路より奇兵を出し、黄忠に力を添へて欲しい。併(しか)しながら、黄忠の軍勝にあらば、決して出ることなかれ、彼が敗色濃き折(をり)を見て援けよ」
と命じ、又劉封、孟達は、ともに三千餘騎をひいて、山中の険阻なる所に、堂々と旗を立て、味方の勢ひの壮なるところを示して、敵の心を惑はすべしと申しつけた。そして厳顔には、巴西、閬中にゆかせ、張飛、魏延と交代して難所を守り固め、張飛、魏延は還つて漢中攻略をなさんとし、又下辨へ人を派して、馬超に孔明の計を伝へる、といふ、完璧の攻略手配を、秩序よく行つた。
孔明がひとたび断を下してからの進行ぶりは見事にも鮮(あざや)かなものである。
こちらは、天蕩山を追はれ、定軍山に逃げのびて来た張郃、夏侯尚の両名は、夏侯淵に見(まみ)え、
「味方は大将を討たれ、多くの兵を損じたり。その上、玄徳みづから蜀の大軍を起(おこ)し、漢中を攻めんとの説あらば、即刻、魏王に救援の兵をもとめ給へ」
と進言。夏侯淵大いに驚き、この旨を曹洪に向つて報じ、曹洪は又早馬を飛ばして都の曹操に通じた。
曹操はこの報に接し、いそぎ文武の大将を召集して、緊急会議を開いた。
席上、長史(チヤウシ)劉曄は、
「漢中は土壌肥沃にして生産物多く、民は又盛んにして、まことに国の藩屏(ハンペイ)と申すべきところ。万一敗れて、これが敵の手中におちては魏のうち震動するに違ひありません。願はくは大王みづから労を憚(はゞか)らず、駕をすゝめて全軍を指揮なさるべきでせう」
と、決意をうながした。
曹操は実(げ)にもとうなづき、
「さきごろも、汝が言を用ひずして、今これを後悔してゐる」
と称し、一議もなく、即時四十万の大軍を起し、七月都を発つて、九月には長安に入つた。
こゝで陣容を整へ、先づ全軍を三手に分つた。
即ち、主力の中軍に曹操。
先手陣、夏侯惇。
後陣、曹休。
曹操は白馬に跨(またが)り、黄金の鞍をそなへ、玉(ギヨク)をもつてつくられた轡(くつわ)をとる。
錦の袍(したゝれ)を着した武士、手に紅羅の傘蓋(サンガイ)をさゝげて、左右には、金瓜(キンクワ)、銀鉞(ギンヱツ)、戈矛(クワボウ)をさしあげ、天子の鑾駕(ランガ)の偉容を整へさせてゐる。
又、龍虎になぞらへた近衛兵二万五千、これを五手に分け、いづれも五色の旗を持つて、龍鳳(リユウホウ)日月(ジツゲツ)の旗を中心に控へた有様は、目(ま)映(ばゆ)きばかりの美しさと、天下を睥睨(ヘイゲイ)する威容をつくつて、見事なものであつた。
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次回 → 絶妙好辞(二)(2026年9月3日(木)18時配信)

