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前回はこちら → 陣前(ぢんぜん)公用(こうよう)之(の)酒(三)
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孔明は玄徳の命をうけると、魏延を呼びよせて、
「成都の名酒五十樽を早速に調達せよ」
と命じた。魏延は、何事があるかと訝(いぶか)りながらも、たゞちに集めて、孔明に示せば、孔明は黄色の旗に「軍前公用の美酒」と書きつけ、
「これを三輛の車に立て、たゞちに宕渠の陣にある張飛がもとに届けよ、とく行け」
と、急がせた。
魏延かしこまつて、酒の輸送にあたつた。
沿道の住民は、この異風の車輛に、目を瞠(みは)つて、何のおめでたかと噂し合つた。
宕渠の陣に着ゐた魏延から、この贈物をうけた張飛は、大いに喜んで、その酒樽を拝した。
「わが事、これにて成就疑ひなし」と云つて、魏延と雷同を呼び、
「魏延は、わが右翼にあれ、また雷同は同じく左翼に陣せよ、軍中紅き旗振るを合図として、その折は、全力を以て討つて出よ」
と命じ、陣中に美酒を迎へ、肴(さかな)をあつめて、前にもました大酒宴をはじめた。
久しく軍旅にあつて、口にしたくもできなかつた、成都の銘酒、宴ははづむばかりで、笑声(セウセイ)山間に鳴るの感があつた。
この様子をつぶさに眺めた張郃の見張りは、これを張郃に報じた。
「珍しきこともあるかな、どれ」
と、張郃は山上に現れ、遙かに張飛の軍を眺めやれば、張飛は中軍に陣して平坐、痛飲してゐる様子。そして、二人の童子に相撲をとらせては、しきりと喜んでゐるのが分つた。
対陣も久しきにわたつてゐるし、心もそろそろ安らかでなくなつてゐた張郃は、
「張飛のやつ、いゝ気になつて、あまりにも小馬鹿にした振舞、よし、今夜は山を下り、一気に敵陣を蹴散らして、目にもの見せてくれようぞ」
と、蒙頭、盪石の二将に戦闘用意を命じ、これを左右とし、月明を利して、山を下り、張飛の軍に迫つて行つた。
敵前に近づいてから、尚(なほ)眺めれば、依然として張飛は酒を飲んでゐる。
折もよし、
「突つこめ!」
の命とともに二ケ所の勢、喊をつくつて雪崩れ、鼓をうち、銅鑼を鳴らして、突込んで行つた。
張郃は馬上にあつて、目ざすは張飛、今宵こそはといきまゐて迫つて行けば、酔ひしれてわれを失つたか、目指す張飛の影は動かうともしない様子、馬を躍らせて手元にとびこみ、
「やあ!」
と、一鎗に突き通した。
しかし、その手応へに、張郃は、はつとしてしまつた。たしかに張飛と思つたのは、人に非ず、草で作つた人形だつた。
「失敗つた」
と、あせり気味で後に退(ひ)かうとすると、突然、鉄砲が響いた。それと同時に、一人の大将を先頭に、一群の兵が道をふさいだ。
先頭の大将は、と見れば、虎鬚さかさまに立ち、目は百錬の鏡(かゞみ)に朱(シユ)を注いだごとく、その叫ぶ声は雷の如く、一丈八尺の大矛をふり廻し、
「やあ、張郃。世にきこえた燕人張飛、こゝにまかり出た。勝負ツ」
と云ひざま、張郃の驚く鼻先へ切つてかゝつた。
張郃も咄嗟にこれをうけ、必死にうち合ふこと四五十合に及んだ。
その間に、雷同、魏延の左右の軍も、それぞれ蒙頭、盪石の二手の勢と闘ひ、またゝく間にこれを追ひまくつてしまつた。
味方の崩れを見ながらも張郃はなほ鋭い張飛の矛とうち合つてゐたが、かくするうちに、山上に火がかゝり、蜀の軍勢は勢ひを得て、益々(ます/\)数を増し、彼の周囲はすべて敵となつてゆくのが分る。
その上、退路も絶たれる様子に、このまゝ手間取つては、一命も危しと感じたか、寸隙をねらつて、馬に一鞭をあたへて逃げてしまつた。
張飛は、この優位逃すべからずと、全軍に尚(なほ)も追撃をゆるめるなと号令して、遮二無二突進した。
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今回で14冊単行本の巻の十「三立の巻」に当たる部分は終了です。次回からは巻の十一「麦城の巻」に入ります。
次回 → 敗将(一)(2026年8月24日(月)18時配信)

