吉川英治『三国志(新聞連載版)』(651)火中の栗(四)
昭和16年(1941)10月31日(金)付掲載(10月30日(木)配達)
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重大時期だ。国土の興亡のわかれめだ。孫権は、努めて思ひ直した。
「魯粛。もう一度、孔明にその大策を質(たゞ)してみよう」
「あゝ、さすがは。——よくぞ御堪忍がつきました」
「どこにをる」
「賓殿にあの儘(まゝ)でゐます」
「誰(たれ)も来るな」
随員をみな払つて、孫権はふたたび孔明の前へ出た。
「先生、ゆるし給へ。弱冠の無礼を」
「いや自分こそ、国主の威厳を犯し、多罪、死に値します」
「ふかく思ふに、曹操が積年の敵と見てゐるものは、わが東呉の国と、劉豫州であつた」
「お気づきになりましたか」
「しかし、わが東呉十餘万の兵は、久しく平和に馴(な)れて、曹操の強馬精兵には当り難い。もし敢然、彼に当るものありとすれば、劉豫州しかない」
「安んじたまへ。劉予州の君、ひとたび当陽に敗れたりとはいへ、後(のち)、徳を慕うて、離散の兵はことごとく回(かへ)つてをります。関羽がひき連れて来た兵も一万に近く、また劉琦君が江夏の勢も一万を下りません。たゞし、閣下の御決意はどうなつたのですか。乾坤一擲(ケンコンイツテキ)のこの分れ目は、区々たる兵数の問題でなく、敗れを取るも勝利をつかむも、一にあなたのお胸にあります」
「予の心はすでに決つた。われも東呉の孫権である。いかで曹操の下風(カフウ)につかうか」
「さもあらば大事を成すの機(キ)今日(こんにち)にあり!です。彼が百万の大軍もみな遠征の疲れ武者、殊(こと)には、当陽の合戦に、あせり立つこと甚だしく、一日三百里を疾駆したと聞く。これまさに強弩(キヤウド)の末勢(マツセイ)。——加ふるにその水軍は、北国そだちの水上不熟練の勢が大部分です。ひとたび、その機鋒を拉(ひし)がんか、元々、荊州の軍民は、心ならずも彼の暴威に伏してゐる者ばかりですから、忽ち内争紛乱を醸し、北方へ崩れ立つこと、眼に見えるやうなものです。この賊を追はゞ、荊州へ一挙に兵を入れ給うて、劉豫州と鼎足(テイソク)のかたちをとり、呉の外郭をかため、民を安んじ、長久の治策を計ること、それはまづ後日に譲つてもよいでせう」
「さうだ。予はふたゝび迷はん。——魯粛々々」
「はつ」
「即時、兵馬の準備だ。曹操を撃砕するのだ。諸員に出動を触れ知らせい」
魯粛は、駈け走つた。
孔明に向つては、一(ひと)先(ま)づ客舎へもどつて、休息し給へと云ひのこして、孫権は力づよい跫音(あしおと)を踏みしめながら東郭の奥へ入つた。
愕(おどろ)いたのは、各所に屯(たむろ)してゐた文武の諸大将や宿老である。
「開戦だつ。出動。出動の用意」
といふ触れを聞いても、
「噓だらう?」
と、疑つたほどであつた。
それもその筈で、つい今し方、賓殿の上で、孔明の不遜に憤つた主君は、彼を避けて、奥へかくれてしまつたと、愉快さうに評判するのを聞いてゐたばかりのところである。
「間違ひだらう、何かの」
がや/\云つてゐる所へ、魯粛は意気ごみぬいて、触れて廻つてきた。やはり開戦だといふ。人々は急にひしめきあつた。色をなして、開戦反対の同志をあつめた。
「孔明に出しぬかれた!いざ来い、打ち揃つて、直(すぐ)さま君を御(ご)諫止(カンシ)せねばならん」
張昭を先に立て、一同(イチドウ)気色(けしき)ばんで、孫権の前へ出た。——孫権も、来たな、といふ顔を示した。
「臣張昭、不遜至極ながら、直言お諫(いさ)めしたい儀をもつて、これへ伺ひました」
「なんだ」
「恐れながら、君御自身と、河北に亡んだ袁紹とを、御比較遊ばしてみて下さい」
「…………」
「あの袁紹に於(おい)てすら、あの河北の強大を以てすら、曹操には破られたではございませぬか。しかもその頃の曹操はまだ、今日のごとき大をなしてゐなかつた時代です」
張昭の眼には涙が光つてゐた。
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