三国志について色々と考える文章を配信します。
同時に「歴史の権威性を解体する」のが裏テーマとなります。
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歴史研究者はともかくとして、歴史研究者ではない多くの人は、歴史とは「事実」すなわち「実際に起こったこと」に立脚していると認識しています。この認識の前提には、人間である以上、自分の経験(記憶)に根ざして「事実」が存在するという確信があります。
一方、自分の記憶を他者と共有するためには「言語」が必須であることは忘れられがちかも知れません。そして、この言語という道具は厄介なものです。何故ならば、言語の意味は受け手(文章であれば読者)によって決まるからです。つまり、自分が発した言語の意味は、自分では決定できません。
これは、記憶を共有するための言語であっても、送り手と書き手が意味を「完全に」共有することは難しいことを意味します。つまり、自分にとって確固たる「事実」であっても、それを他者に「完全に」共有することは言語を解する以上不可能だということです。敷衍すれば、史料を通して「事実」に辿り着くこともあり得ないことになります。あくまで「できる限り接近する」ことができるだけです。
換言すれば、歴史を語る文章は如何なるものであっても「事実」そのものではあり得ません。これは歴史について考えるときに決して忘れてはならないことです。
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我々はしばしば事実/虚構(虚偽)という二項対立で思考しています。この場合、事実は虚偽の上位に置かれ、事実は「正しく」、「正しくない」虚構が「正しい」事実より優先されることはないと確信しています。
この思考形式はしばしば歴史に対しても適用されます。司馬遼太郎の小説を「事実とは異なる」として批判……であればまだ良いですが、「排除」しようとするような態度も、この思考形式に則ったものだと言えるでしょう。
このような態度は上述したような「事実」が存在するという確信に拠っています。しかし、これまた上述したように、過去に実際に起こったことであってもそれが言語によって媒介されたものである以上、実際に起こったことを完全に再現することは不可能です。となれば、司馬の小説と、その批判/排除の根拠として提示される文章は、「どちらが正しい」という関係性にはなく、「事実」への接近において差異があるに過ぎません。
このように考えた場合、新しい視野が開けます。「事実」に接近しているか否か、のみを問題にするのではなく、「事実」に接近しているとはどういう状態のことか?、あるいは司馬の文章はどこが「事実」から乖離しているのか?、そもそも「事実」から鉤括弧を外した事実は本当に存在しないのか?等々。
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思考することは快楽である、と私は確信しています。その愉悦を読者諸兄と共有すべく、今後、三国志を中心に言葉を紡いでゆきたいと思います。
もう一度再実験です。
コメントの再実験です。